三日月の位置が一段と高くなった。
目の前に広がる黒い海。水平線が月明かりに照らされている。
そして、その上に広がる満天の星空。
瞳を閉じて耳を澄ませば...。
聞こえるのは波の音だけ。
閉じた瞳をゆっくり開け、立ち上がった私は、ゆっくり息を吐くと海に向かって歩き出した。
一歩、また一歩。
水面に映る月明かりを目指して。
迷いなんて無い。そう...少しも躊躇いなんて感じなかった。
課長の赤ちゃんがお腹にいると分かったときは、本当に嬉しかった。
愛する人の赤ちゃんを産みたいと思った。
でも、それは許されないこと。
一度は夢見た、あなたと赤ちゃんと私の幸せな未来。
でも、やっぱり神様は許してくれなかった。
私たちが『家族』になることを――――許してはくれなかった。
だから――――
課長と別れると決めたと同時に、こうすることを決めた。
愛する人の赤ちゃんを堕ろすという選択肢は、最初から無かった。
私がもう少し強い人間だったら、赤ちゃんを産んで一人で育てるという選択もあったかもしれない。
でも。
そうなったら、きっと…課長に知られてしまう。
久香や翔さんの近くにいる限り……。
かといって、私には行く場所なんてどこにもない。
親もなく、頼る人もない私に残された選択肢は…たった一つだった。
「産んであげられなくて、ごめんね」
お腹に手をやり、優しく撫でる。
「一緒に逝くから...。許してね」
小さな小さな命に語りかける。
一歩、また一歩と海の中へ入っていく私の体。
全身が潮の香りに包まれる。
でも、『死』に対する怖さを感じることはなくて。
逆に、水の冷たさが心地よく感じられた。
もう何も望まない。これで...全てが終わる。
この旅行で...課長と赤ちゃんと3人で幸せな時間を過ごせたんだもの。
もう...十分。
穏やかな波にのまれる体。
全身が水の中に沈み、息が出来なくて。
苦しさなんて感じない。感じるのは不思議と水の暖かさで...。
課長に出会ってから今までの日々が浮かぶ。
少しずつ遠のく意識。
課......長......
さ...よ...う......な......ら........
