「美空...」


沈痛な面持ちで。低い声で。私の名前を呼ぶ課長。


「今日は、本当にありがとうございました」


改めて精一杯の笑顔を作り、課長に頭を下げる。






「奥様が待ってるのに、遅くまで引き止めてしまってごめんなさい」


「え?」


「週末は奥様の待つ家のほうへ帰られるんですよね?タクシー、呼びますね」


私が変な事を口走ってから、課長は殆ど話そうとしない。


重い空気の中、私はタクシーを呼ぼうと電話をかけるために、立ち上がった。


すぐ近くにある鞄の中に、携帯電話が入っているにも関わらず。

とりあえず、少しでも課長から離れたかった。




真っ赤になってるであろう目を見られたくなかったから。

この胸の鼓動を聞かれたくなかったから。

さっきの口走ってしまった気持ちが本当だと、知られたくなかったから。





タクシーが来るまでの10分間が、とてもつもなく長い時間に感じられた。

私も課長も一言も話そうとせず、聞こえるのは時計の針の音のみ。




壁にもたれて片足を伸ばし、もう片方の足を立てて、じっと瞳を閉じたまま座っている課長。

何を思い、何を考えているのか。


課長が見えないことをいいことに、課長を観察する。


整った顔、長い睫毛、さらさらの黒髪。



見ているだけで、こんなに胸がドキドキする。



でも、もう止めなきゃ。課長を意識しないように頑張らなきゃ。

そう自分に言い聞かせる。