動き出して間もなく、バスは信号に止められてブレーキを踏む。

 そのバスの前、横断歩道を渡って、柊は来た道を少しだけ戻る。

 途中、入栄が見えるだろうかと傘を傾けて視線を上げた。

 の向こう、1つずつ窓を確かめて―――見つけた。

 けれど、姿を認めると同時に、柊は、見つけてしまったことを、見てしまったことを、
 猛烈に後悔した。

 窓ガラスはくすんでいた。
 ゆるまぬ雨足で視界は悪く、分厚い雲で町全体がほの暗い。

 ガラスを覆う雨粒も彼の輪郭をおぼろに歪ませていた。……いながら、
 不思議とそこだけピントがあったようにくっきり見えたことが、今となっては嘘のようにすら思える。

 幻などではない。

 その瞬間、柊の眸に彼は、残酷なほど鮮やかに映り、
 たちまち彼女の身体の自由を奪った。


 入栄の身体は、痛ましいほど、泥だらけだった―――……。


 ずっと見ていた左側は、ズボンの裾が濡れている以外これといって被害を受けている様子ではなかった。

 柊と会う前に転んでいたとしても、前と後ろ、あれほど器用に片側だけ汚れるはずがない。

 ……柊を大型トラックから庇ったあのとき、汚れたとしか思えなかった。

 棒立ちのまま、柊はバスが発車してからも暫くその場を動けなかった。