俺と初めての恋愛をしよう

 「痛い!」

 非常階段の死角に引きずりこまれる。
 壁に押し付けられると、そこには後藤の、冷静な仕事振りの時とは違う男としての怒りに満ちた顔が間近にあった。
今日子は、目を見開くくらい驚いた顔をした。

「待っていろといったはずだ」
 「!」
 「ちょっと来い」
 「あの、何処へ。私駅は反対方向なんですけど。部長!」

 ぐいぐいと強い力で引っ張られて歩く。

 「メシを食いに行こう。話したいこともある」
 「お願いします。帰ります、帰りたいんです。離して……」

 もうすでに大通りを過ぎて脇道に入っていた。今日子は、いい大人だが、半べそ状態だ。

「黙ってついてこい」
 「……」

 腕を掴まれたまま、15分ほど歩く。行き交う人の視線が、後藤に腕を掴まれてあるく今日子に集まっているようで、顔を上げられない。そんな状態で暫く歩くと、路地裏の小さなイタリアンレストランについた。看板に“SHIBANO”と書いてあった。
 後藤が、ステンドガラス風のドアを開けると、いらっしゃいませ、と声がかかる。

 「柴野を呼んでくれないか?」

 後藤は常連のようで、店員にそうお願いをして席に案内される。その間も逃がさないとばかりに今日子の腕を掴んで離さない。
 ようやくその手を離されたのは、席についてからだった。
 後藤が呼んだ柴野とは、料理人の白いユニフォームを着た男だ。後藤と同じくらいの歳感じでゆるく髪に軽くパーマをかけて明るい茶色に染めている。後藤とは全く正反対の柔らかな雰囲気を持った人が、今日子と後藤のテーブルに来た。

 「いらっしゃい。今日は随分と遅いな。何か飲むか?」
 「こんな時間に悪いな、簡単なものでいい何か作ってくれないか?」

 もう閉店間近なのか他に客はいなかった、そのことに今日子は少しホッとする。

 「ワインは飲めるか?」

 後藤の強引さはなくなり、探るように今日子に聞いてくる。

 「あの、お水でいいです。それよりも何かお話があるのでは? お話を先に伺います」

今日子は必死だった。だが、後藤は、そう言った今日子に返事はせず、テーブルの傍に立っていた柴野に注文する。

 「グラスワインでいい、それと、何かおススメの食事を持って来てくれ」
 「分かった」

 後藤は、今日子の言うことに全く耳を傾けない。
 メニューがあったが、勝手知ったるなのか、メニューを開かずに注文をした。
 柴野の視線を感じていたが、顔は上げられずに受け答えをしていた。柴野はオーダーを作るためか席を離れ、後藤が今日子に向き直る。