それから三ヶ月がたった。
あの悪夢は、いつの間にかみることはなくなった。
たまに、疲れ切ったときに何かに追われる夢をみることがある。けれど、驚くべき事に、美紀は夢の中で追いかけてくるものを迎え撃ち、一喝で追い払った。
単なる夢だけれど、目覚めたあとは爽快で、一日中気分が良かった。
明のもとから離れると、いろいろなことが見えてきた。今までは彼の近くに居すぎたのかもしれない。三年間、明の姿を見てきた。けれど、本当に彼を知ろうとしたことがあっただろうか。
美紀は市名を冠したちいさな駅で、電車を降りた。
移転する事務所の文書整理も残すところあとわずかだ。
「おはようございます」
管理室に鍵を取りに行くと、もう誰かが受け取ったという。
(まだ八時前なのに)
一本遅らせると始業に間に合わないため、美紀がいつも最初に事務所をあける。ほかのスタッフはまだ当分来ないはずなのだ。
「おはよう、ございます」
油の切れたドアを開けると、段ボール箱の山が目に飛び込んでくる。
その向こうから声がしたが、小さくて聞き取れなかった。
紙類の山の崩れる音。奥には未分類のファイルがまだ残っている。
駆け寄ると、そこには文書に埋もれた明がいた。
美紀は驚き、同じくらい呆れかえって彼をみつめた。
「明さん?」
「早いね。少し片づけておこうと思ったんだけど」
手を貸して立たせると、明は顔を背けた。
「どうして。こんなところにいるの」
言いにくそうにしている。美紀は回り込んで彼の顔をのぞき込んだ。
「休暇をもらったんだよ。たまには、いいだろ」
「休暇・・・・・・? だって、ここであなたが何をするっていうの」
「さあ、何をしようかな。きみの手伝いでもしようと思ってるんだけど」
明は顔をかたむけて、美紀のほほに不意打ちのキスをした。
あとずさりしようとした美紀は、段ボールの山に阻まれて、すぐにおいつめられてしまった。
「おれときみは、どうも狭いところで愛をはぐくむ運命らしいな」
寒気がする。こんな軽口はきらいだ。
「やめて」
「おれは本気だよ」
手を伸ばし、明は跳ね返った美紀の髪の毛を、つんと引っ張った。
「いた!」
「さよならを言ったつもり? あれで」
明はじっと美紀を見つめた。
「そのつもりだけど」
腰に手を当ててにらみつけると、明は眉間にしわをよせた。
「置いて行かれても、困る」
美紀はとうとう吹き出した。言葉とはうらはらに、明のまなざしはどこか不安げだった。
この人に初めてキスを奪われたとき、悲しみと嫌悪しかなかった。
でも、同じ唇で、胸がときめき、幸福を感じることができるなんて、思っても見なかった。
美紀は一歩踏み出した。不器用な人のもとへ、また一歩。
「きみが、好きだ」
腕のなかに抱きしめられた。
心地よくて息をはくと、彼は美紀の髪に顔をうずめ、くぐもった声で笑った。
「呪いがとけたみたいだ。すっきりした」
「私はなんだか、呪いをかけられた気がする」
明は顔をひいて、美紀をじっとみつめた。
交わしたキスは甘い。
「おれの呪いは、とけないよ。きっと、ずっとね」
なごり惜しそうに唇を離した明は、やわらかくほどけるようにほほえんだ。
「ねえ、おれのマジョさん」
あの悪夢は、いつの間にかみることはなくなった。
たまに、疲れ切ったときに何かに追われる夢をみることがある。けれど、驚くべき事に、美紀は夢の中で追いかけてくるものを迎え撃ち、一喝で追い払った。
単なる夢だけれど、目覚めたあとは爽快で、一日中気分が良かった。
明のもとから離れると、いろいろなことが見えてきた。今までは彼の近くに居すぎたのかもしれない。三年間、明の姿を見てきた。けれど、本当に彼を知ろうとしたことがあっただろうか。
美紀は市名を冠したちいさな駅で、電車を降りた。
移転する事務所の文書整理も残すところあとわずかだ。
「おはようございます」
管理室に鍵を取りに行くと、もう誰かが受け取ったという。
(まだ八時前なのに)
一本遅らせると始業に間に合わないため、美紀がいつも最初に事務所をあける。ほかのスタッフはまだ当分来ないはずなのだ。
「おはよう、ございます」
油の切れたドアを開けると、段ボール箱の山が目に飛び込んでくる。
その向こうから声がしたが、小さくて聞き取れなかった。
紙類の山の崩れる音。奥には未分類のファイルがまだ残っている。
駆け寄ると、そこには文書に埋もれた明がいた。
美紀は驚き、同じくらい呆れかえって彼をみつめた。
「明さん?」
「早いね。少し片づけておこうと思ったんだけど」
手を貸して立たせると、明は顔を背けた。
「どうして。こんなところにいるの」
言いにくそうにしている。美紀は回り込んで彼の顔をのぞき込んだ。
「休暇をもらったんだよ。たまには、いいだろ」
「休暇・・・・・・? だって、ここであなたが何をするっていうの」
「さあ、何をしようかな。きみの手伝いでもしようと思ってるんだけど」
明は顔をかたむけて、美紀のほほに不意打ちのキスをした。
あとずさりしようとした美紀は、段ボールの山に阻まれて、すぐにおいつめられてしまった。
「おれときみは、どうも狭いところで愛をはぐくむ運命らしいな」
寒気がする。こんな軽口はきらいだ。
「やめて」
「おれは本気だよ」
手を伸ばし、明は跳ね返った美紀の髪の毛を、つんと引っ張った。
「いた!」
「さよならを言ったつもり? あれで」
明はじっと美紀を見つめた。
「そのつもりだけど」
腰に手を当ててにらみつけると、明は眉間にしわをよせた。
「置いて行かれても、困る」
美紀はとうとう吹き出した。言葉とはうらはらに、明のまなざしはどこか不安げだった。
この人に初めてキスを奪われたとき、悲しみと嫌悪しかなかった。
でも、同じ唇で、胸がときめき、幸福を感じることができるなんて、思っても見なかった。
美紀は一歩踏み出した。不器用な人のもとへ、また一歩。
「きみが、好きだ」
腕のなかに抱きしめられた。
心地よくて息をはくと、彼は美紀の髪に顔をうずめ、くぐもった声で笑った。
「呪いがとけたみたいだ。すっきりした」
「私はなんだか、呪いをかけられた気がする」
明は顔をひいて、美紀をじっとみつめた。
交わしたキスは甘い。
「おれの呪いは、とけないよ。きっと、ずっとね」
なごり惜しそうに唇を離した明は、やわらかくほどけるようにほほえんだ。
「ねえ、おれのマジョさん」
