幸せまでの距離


「樋口、頼む……。

シェルの無事を、確かめさせてく れ……」

樋口の顔を見ず、今井は頼んだ。

しかし、樋口は余裕の笑みを浮かべるだ けで、動じない。

「さっき、見たぜ。

お前が星崎んちに入って行くのを……」

「なっ……」

「残業断って様子見に行って正解だっ た。

お前、最近、ヤケに『猫が猫が』って、 うるさかったもんなぁ」

「…………」

「けっこう長い間話してたな。

星崎に、なに吹き込んだんだよ。

まさか、俺を悪者呼ばわりなんてしてな いよな~?」

「……いつまでもこんなことして、樋口 は何も感じないのか?

俺達もう、いい大人じゃないか」

今井は樋口を振り切り、重たい足取りで 二階に上った。

物置と化した部屋には、シェルが横た わっている。

「シェル……!」

生きてはいるが、元気がない。

よく見ると、シェルのヒゲは切られてい た。

「これはっ……!

樋口、お前がやったのか?」

今井は、遅れてやってきた背後の樋口に そう尋ねた。

「……猫のヒゲは根本から切ってはいけ ない。

そう知ってて、やったのか?」

猫のヒゲには神経が通っていて、切られ ると痛みを感じるし、方向感覚を失い少 しの動作でもケガをしやすくなってしま う。

「お前、知らないうちに偉くなったな」

樋口は苛立ちを込めて言った。

「お前に、命の大事さを語る資格あんの かよ。

もう忘れたか?

大学時代、マユミを中絶させたこと」

「忘れてなんかない……!!

マユミは今でも苦しんでる。

でも、だからこそ俺は、もう、誰の命も 失いたくないんだ!

誰のことも、傷つけたくないんだ!

たとえ動物相手でも、その気持ちは変わ らない……!」

痛ましいシェルの姿を見て、今井も頭に 血が上っていた。

「……ははははは。よく言えるな。

要領の良さじゃ、お前に負けるよ」

樋口は今井をあざ笑う。