そんな英吾には、母親がいなかった。
この団地に引っ越してきたときから、英吾の傍らにその存在はなかった。
小学生のころ、良太郎は何気なく母親の不在について、その理由を英吾に尋ねたことがあった。
しかし、英吾自身もよく理解していなかったのか、その問いかけには首を傾げるだけで、結局、良太郎にとって英吾の母親に関することは、未だに謎のままだった。
良太郎の両親を始め、英吾たち親子と付き合いを深めていた大人たちも、そのことについてはそれとなく尋ねたらしい。
けれど、何も語ろうとしない英吾の父親の様子に、何か話せない事情があるのだろうと察し、次第にそれを尋ねる者もいなくなったようだった。

その父親も、六年前に病に倒れ、この世を去り、英吾は今や天涯孤独の身の上だった。
父親には親族らしい親族もいないのだと、英吾は言った。
その言葉通り、彼の父親の葬儀に参列した親族は、英吾しかいなかった。
独りぼっちになってしまった十九歳の英吾が、涙を堪えて喪主として立派に父親を見送った日のことを、良太郎は今でも覚えている。