「やあ、春希君」

 冬。3月の午後9時、既に辺りは暗闇であったが、塾帰りの僕にわざわざ声をかける人物が、そこにいた。暗闇の公園のど真ん中に、何故か折り畳み式のパイプ椅子に腰かけ、こちらを向きもせずに僕の名前を呼んだ。もちろん初対面である。

 女だろうか。低めの位置で髪を2つにしばり、セーラー服と思われる(いつまでもこちらに背を向けたままなので今のところ把握できない)黒い衣服を着ていた。たった1つの電灯に照らされ、黒いシルエットが浮かび上がり、パイプ椅子は銀色に光っている。不審者としか思えないが、どことなく幻想的だ。

 女となんて、学校では一言も言葉を交わさないものだから、彼女は不審者だと自分の中では確定しているものの、幻想的な雰囲気を纏っているということもあってか、僕の心臓は途端に活動を早める。ちくしょう。
「誰……だよ」

 恐る恐る声をかけてみる。ヤバイ奴だなんて重々承知だ。ただ、彼女と話さねばならない、という謎の使命感が僕の脳には蔓延っていた。

「ふふっ。カッコいいね。惚れたぜ」
「顔も見てねぇ癖にか?」
 大体、僕はお世辞にもカッコいいと言えないような顔をしている。分かっている。
「そうじゃないさ。この私に話しかける勇気。それに惚れた」

 簡単に言う奴だ。何だよ、自覚してるんじゃないか。自分が明らかに不審者だってこと。というか、恥ずかしい。恥ずかしいと思っているのも恥ずかしい。顔が熱くなる。顔が熱いのも恥ずかしい。何だよ、勘違いするなよ、このアホ脳味噌め。

「いい加減、人の顔を見て話せよ。礼儀……ってか、常識だろ」
「それもそうだな。悪かった」
 案外あっさりとこちらを向いた。可愛い……というわけではないが、整った顔だった。綺麗だ。既に心臓は最高速度で活動していたのか、それとも女と話すのに慣れたのか、はたまた脳が正気に戻ったのか、女とまともにコミニュケーションを取ったことのない男としての身体への異常は、それ以上起こらなかった。

「で、何の用だよ、何してるんだよ、何で僕の名前を知ってるんだよ、そもそも誰だよ、家帰れよ」
 とりあえず、話しやすい距離まで歩み寄った。
「君と話したかったのさ。君を待ってたのさ。何でだろうねえ。ナホと呼んでくれればいいよ。親には言ってある」
 何で全部答えられるんだよ。順番も忠実に。噛まずに。ナホの不審度があがった。

「気持ち悪りぃ奴だな」
「それは光栄だ」
「何がだよ」
「君が私に対しての第一印象を持ってくれた上に、行ってくれたこと、かな」
「ますます気持悪りぃ奴だ。……で?」
「何がさ」
「さっき、僕と話したいって言っただろ。何だよ」
 忘れんなよ。

「あぁ。悪い、悪い。そうだね、実はこれといって何も無かったんだけれど……。まぁこれからも私の話に付き合ってもらうことがあるかもしれないから、よろしくね ってことかな」
「僕とまた会うって言いたいのか?」
「そうだね。お喋り相手になってもらうよ」
「勝手に決めるなよ。まぁ……いいけど」
「それなら良かった。じゃあ、それだけだよ」
 そう言うとナホは顔をグッと近付けてきた。近い。息がかかりそうなくらい。
 そして、僕の耳元でこう言った。
「ありがとう。春希君」