留美の母は鼻から煙を出しながら言った。

「あたしの旦那はね、この子が3歳の時、病気で死んだの。
それから、あたしは旦那の形見のトラックで女手一つでこの子を育ててきたの。母子家庭だからって馬鹿にするんじゃないよ。」

「そんな滅相もない。」

篤がまた頭を下げた。

萌子はそんな夫が情けなくなってきた。
篤は負けるが勝ち、と思っているのだろう。

「そうですよ。うちもね、
母子家庭だった時期、ありますからね。
この人とは再婚ですから。」

萌子はつい言っていた。

「そうなの?へえ。」

留美の母はなぜか嬉しそうに言う。

彼女の機嫌が少し良くなったところで、篤は話し始めた。


「…なんとか、学校には内密にしてもらえないですか?
和也は成績もまあまあよくて進学を希望してるんです。
このことが知れたら、和也は退学になってしまうかもしれません。
本当に娘さんには申し訳ないことをしたと思っています。
もちろん、掛かる費用はこちらで負担します…」


篤の真意はこれだったのだ。

さっき、篤を心の中で馬鹿にしたくせに萌子は彼のことを心強く思った。

「まあ、こうなってしまったからには始末するしかないけどねえ。
あと、慰謝料も払ってね。
大事な娘、傷つけられたんだからさ。」

留美の母はタバコを灰皿に押し付けながら言った。

「慰謝料…おいくらぐらいですか。」

話し合いの折衝は、完全に夫に任せたほうが良いと思いつつ、萌子は黙っていられない。

「わからない。本当は弁護士でも頼んだらいいんだけど、そんなお金ないしね。ちょっと考えさせて。」

「わかりました。」

篤は深々と頭を下げた。
萌子も篤に倣い、深々とお辞儀をする。


まるで土下座をしているような格好だ。


和也と留美は、青白い顔をして下を向いたままだった。


留美がどんな顔をしているのかわからないまま、萌子たちは赤井家を辞去した。






杏奈はトイレの便座に座り、ふうっ…と大きなため息をつく。

(やっぱりだった…)

杏奈の右手には、妊娠検査薬が握られている。

検査薬の結果を示す箇所にはくっきりと赤い線が浮き出ていた。

検査結果は陽性だった。


(どうしよう…!?)

杏奈は肩までのウェイブヘアの頭を掻きむしる。



恋人の麻人とは、二週間前に別れたばかりだった。


麻人が会社の後輩と浮気し、本気になってしまった女が杏奈の携帯に電話してきた。


「私、麻人さんと寝ました。
前から彼が好きだったんです…お願いですから、彼を下さい…」

女は泣きながらそう言った。