車のミラー越しに後部座席の息子和也を見た。

和也は不貞腐れてガムを噛んでいた。


運転席の夫は苦虫を噛み潰したような顔でハンドルを握っている。

和也は学生服、夫の篤はスーツ姿だ。

萌子はグレーのニットのアンサンブルを着ていた。


夜の十時だというのに、まるで入学式に出席するようないでたちだ。

つい、さっきまでこの格好で先方の家で夫と膝に頭がつくくらいのお辞儀をしてきた。

「はあ…」

萌子は小さくため息をついた。

これからどうなるんだろう。

学校にはなんとか内密にしてもらえるようだが、慰謝料はいくら払うことになるだろうか…

そして、肝心の和也は反省しているのだろうか。


車は、街灯の少ない暗い道を走っていた。

帰りの車内で口をきく者はいなかった。





「あの、石川和也君の御宅?」


その電話の声は怒気に満ちていた。

萌子がその女性の声を聞いた瞬間、ただ事でないことが起きたと感じた。

「はい、そうですけど。」

「林田高校二年三組の赤井留美の母親だけど。」

あ、なんだ、学級連絡網か…

萌子がそう思った瞬間、赤井留美の母は信じられないことを口にした。

「うちの留美、妊娠したんだけど。
相手はそっちの息子だって言うんだけど。ちょっとうちに来てもらえない?」

萌子はあまりにも衝撃的な話に言葉が出ず、受話器を持ったまま、立ち尽くした。

「もしもし、聞いてる?
すごく困ってるんだけど。
とにかく、話し合いしないと。」


電話を切ったあと、萌子は胸の動悸が止まらなかった。

本当だろうか。

何かの間違いでは…
あの赤井留美の母親の口調では、間違いでした、などということはないだろう。

とりあえず、萌子は煮込んでいたカレー鍋のガスの火を消した。

夕飯にと作っていたものだ。

そして、まだ帰宅していない夫と息子に早く帰って来て、とメールを打つ。

夫はバイク通勤だから、メールに気づかないかもしれない、と思いながら。


萌子は和也に彼女がいることを知らなかった。

和也は高校生になってから急に色気づいて、髪を美容院で切ってもらったり、眉毛を整えたりしている。

萌子の知る限り、2人くらいの女の子と付き合っていたことがあるようだった。

和也はあまり自分のことを話さなかった。女の子の話もしないし、親に紹介もしなかった。


何時の間にそういうことになったんだろう…

それに萌子の家は今、それどころではなかった。


夫の勤め先の残業規制が厳しくなり、残業手当が無いに等しくなった。

再婚してから専業主婦だった萌子はパートに出ることにした。

しかし、なんの資格もない萌子に出来る仕事は限られている。

仕方なしに小さな喫茶店のウエイトレスと、和菓子屋の店員のパートを掛け持ちすることにした。

どちらも850円という時給の安さだ。

喫茶店も和菓子屋もそれ程忙しくはないが、一日中立ち仕事は慣れていない萌子にはきつい。


せっかく今日は丸一日、休みだったのに。

今夜はゆっくりテレビが観れると思っていたのに。
萌子は舌打ちした。