「あーあ。やだやだ!」


誰に言うとは無く一人ごちた。


私はこれからどうなってしまうのだろう・・・
とりあえずウサ晴らしに海外旅行にでも行って
ぱーっと退職金を使ってやろうか。


いや。ダメだ。失業保険が出るのは半年間。
それを過ぎたら職なしのプー太郎だ。
退職金は命綱。大切に使わないと。
なんて、この先を考えるのは明日からにしよう。
誰にでも平等に明日は来るのだから。
よし!取り合えず今は・・・


呑み直す! これしかない。


確かこの近くに気の利いたバーがあったはず、と見渡せば
国道を挟んだ向かいの先に見覚えのある灯りが見えた。
その灯り目掛けて道を横断するために
低いガードレールを跨ぎ越した瞬間、肘を引く強い力によろけて
膝の裏を思いっきりガードレールにぶつけてしまった。
「痛ったいわね!何すんのよ!」と叫ぶより早く
背中から慌てた声が浴びせられた。


「待て!早まるのは止せ!」


・・・は?


「何があったか知らないけど、早まっちゃダメだ!」


その声に首だけで振り返ってみれば、必死の形相の
たぶん平常の時であれば爽やかな印象があるだろう青年が
私の両肩を掴んで立っていた。


「生きたくても生きられない人が世界にはたくさんいるんだ。
だから自分からそれを放棄するなんてそんな事はしちゃいけない!」


・・・へ?
この人は何が言いたいのかと言うよりも
何を言っているのかよくわからない。
つーか、アンタ誰?!


「人間死ぬ気になればなんだってできる。
死んだ気になって頑張れば道は開けるんだ!諦めちゃいけない!」


ああ・・・そうか。
この人は私が飛び込み自殺でもしようとしてると思ったわけだと
ようやく事態が飲み込めた。
目の前をヒュンと風を切って通り過ぎていくのは
普通車だけでなく大型車も多いここは片側3車線の道路。
そんな道を横断歩道もないのに横切ろうなんて確かに自殺行為かもしれない。


「あっはっはっは」
「おい君っ、笑い事じゃないだろう!」


ごめんね、青年。
だっていくらなんでもそこまで思いつめていたわけではないし
実際、横断しようとしていただけで、それを誤解とはいえ
ここまで必死になられると申し訳ないとは思うけれど笑ってしまう。


「ごめんなさい。大丈夫です、まだまだ死にませんから」


というか、死ねない。
男に捨てられて職まで失った今のまんま死んだりしたら
この世と男にに未練がありすぎて成仏できない。


「あ、ああ。なら……いいんだ。」
「あっち側に渡ろうと思っただけなんです」
「ええっ!?そう、だったんですか?」


気まずそうに視線をそらし「しまったな」と小さく舌打ちをして
頬を染めたこの青年が何だか急に愛おしく思えてきた。
こうやって見ず知らずの女をあんなに必死に助けようとしてくれたのだ。
善い人って本当にいるものなのだと胸がほんのり温かくなった。
世知辛い世の中だけれど、まだまだ捨てたものじゃない。


「すいません、俺、早とちりしてしまって…」
「いえいえ。いいですよ。膝裏はちょっと痛かったけど」
「あ!すみません。ちょっと見せてもらっていいですか?」


と、青年は何の抵抗もなく私の足元にしゃがみ込むと膝裏を覗き込んだ。


前言撤回。なんだこのスケベ!


「ちょっと!」
「俺、医者なんです。もし鬱血でもしているようなら病院へ」


再度前言撤回。やっぱり善い人だ。


「そんな大した事はないですから」
「そう、ですね。少し赤くなってますが内出血もなさそうだ」


明日には痛みも引くでしょう、と爽やかに微笑んだ彼の腕を私は取った。


「助けてもらったお礼と診察のお礼に呑みに行きましょう!」
「はい?」
「向こう側に小さく見える灯り、あるでしょう?あそこに行くつもりだったの」
「いや、だから、その・・・」
「ね、ホラ行きましょう!私がおごります」
「や・・・そういう事じゃなくってって、おい!」


私は組んだ腕を強く引き、もう一度ガードレールを跨ぎ越した。


「1、2の、3!で走りますよ!!」
「う、うわあ」


通り過ぎる車の間をすり抜けたスリリングな瞬間が
なんとも楽しく心地よく感じたのは
それが一人ではなかったから、かもしれない。