風優は隻眼を必死にフェーブに向ける。銃口が風優の脳天へ向かった。
 鉛玉を一発でも受ければ、長い人生におさらばできるだろう。足を動かそうにも、本気になったフェーブほど恐ろしい物は無い。相手を知っているからこそ、次の行動ができない。

「お前はこっちの世界が良い。何のためにここまで生きてきてるんじゃ。お姉さんのため、弟のため、友達のためじゃろう。逃げてどうするんじゃ。戦えよ」
「てめ、え勝手に言ってんじゃねぇッ! どいつもこいつもっ!」

 風優は銃口を手で掴む。それにフェーブは驚いたようだった。風優は銃を掴み取ると、驚いているフェーブを蹴り飛ばした。
 慣れない銃を握り、それをフェーブに向ける。フェーブは風優に刀を向けていた。

「どいつもこいつも、俺の事を勝手に決め付けてるんじゃねぇッ! 何が、復讐はいけない!? 俺はこいつしかしらねぇ! こいつでしか、生きていけねぇっ!」
「そんな震えた手じゃあ、銃は当たらん」
「うっせぇッ! てめぇこそ、鞘から刀を取る方法は知ってんのかよ!?」
「もちろんじゃ。あ、あれ!? 抜けんっ!」

 力いっぱい引っ張っているが、刀は抜けない。それもそうだ。刀は丈夫な紐で縛られているのだ。
 いつもながらのフェーブに風優は苦笑して、銃をおろしてしまう。五千年近く一緒にやってきた仲なのだ。殺せるはずがなかった。

「行けよ」
「風優……」
「さっさと行けよ。戻って来るな」
「お前は来ないのか」

 風優は答えない。が、手に持っていた銃を彼の前に投げた。フェーブは銃を掴むと、刀をその場に置いた。暫し、無言が続くが、フェーブは真剣だった。

「風優、クロノスは徹底的にシュレイド・ミアテイスを潰すつもりじゃ。逃げろ、とは言わない。ただ、無理をしてはいかん」
「……そうかい」

 風優は目を瞑る。

「風優、何かあれば、こっちに来るんじゃ。昔みたいに弟として接してやる」
「今じゃ、たかが数年だ。誰が弟だ。ふん、気をつけろよ。達者でな」
「フェーブ兄と呼んではくれんのか?」
「誰がだ。お前なんか、馬鹿で十分だ」

 フェーブと風優はふっと微笑む。

「じゃあの……」

 が、フェーブは一言残すと夜の街に駆けていった。風優はフェーブが置いていった刀を手に取り、ネオンとは逆の薄暗い道へ歩き出す。
 静かになった花街。遊女が歩いていない事から、丑の刻ぐらいだろうか。花街の曲がり角にシュレイド・ミアテイスの隠れ宿がある。
 宿に戻るなり、血相を変えたアエバが風優の元に駆け寄ってきた。抱きつくばかりの勢いだ。若い衆もぞろぞろと縁側から顔を出す。

「風優さん! 心配したんです! 何処にいっていたんですか!?」
「アエバか……アウィスに報告がある。今はいるか?」
「こちらに」

 風優がアエバに案内され、宿の中に入ろうとした時だ。宿の玄関から、音も無く現れたのは茶髪の男だった。
 眼鏡をかけており、青と緑のオッドアイが風優をじっと見つめている。まるで、全てを見透かしているような視線。風優はその視線が嫌いだった。

「ここにいる」
「フェーブが……」
「どうした?」
「俺がクロノスに捕まっている間に……やられた」

 風優は刀を握り締めた。周りでざわっと動揺が広がる。
 男は静かに風優を見つめている。その目は恐ろしい。が、ここで引いては負けてしまう。

「責任は……俺が持つ。つかまった俺の落とし前だ」
「人が一人減った所で、どうにもならん」

 そうだ、こういう奴だ。風優は赤い隻眼を男に向ける。
 男は仲間が死んだというのに、涼しい顔をしていた。彼は考えるそぶりを見せ、静かな声で告げる。

「風優、お前に命令がある。聖都に行け」
「あそこにはもう王はいないが……」
「そうだな。クロノスの動きが妖しい。そろそろ、強い一撃を入れぬと鳥は動かん」

 風優は男の言いたいことが分った。

「お前は帝都、聖都、王都の王を切ったことがあるな。今回も実に分りやすい任務だ。聖都の皇子を帝都に連れて行き、帝都で聖都の皇子を切れ」
「つまりは聖都の皇子を誘拐し、帝都で切れと」
「そうなるな」

 男はにやりと笑う。聖都で行方不明になった皇子が、帝都で死んだら。同盟国の皇子が帝都で死ぬのだ。聖都は怒り狂い、帝都に戦線布告するだろう。何せ、世の中が不安定な世の中なのだ。
 帝都と聖都は個々として強い権力を持つ国家だ。二国だけの問題にならない筈だ。それを理解した風優は口元に迷ったような、困ったような、それでいて、狂気染みた笑みを浮かべる。
 自分が決めた道なのだ。今更、何を迷うものか。

「ああ、了解した」

 しかし、その横で風優の様子を見ていたアエバが声をあげた。

「あ、あの! 風優さんは病み上がりですし……俺が!」
「アエバ、お前には別の任務を頼もうと思っている。お前の働きは、最近輝かしい」
「は、はい。アウィス様」
 
 男――アウィスは怪しい笑みを浮かべた。風優はぞっとする。

「これで、竜の殲滅は決まったような物だ」

 その言葉は真意だ。しかし、風優は迷う。果たして、彼についていって大丈夫なのかと。試行錯誤している風優を他所にアウィスはアエバに向き直る。

「君にはもっと面白い任務を用意しよう。しかし、これは極秘任務だ。さあ、こっちに来ると良い」
「は、はい!」

 二人が花街の方へ消えていく。風優はただそれを見送るだけだった。刀を握り締めた時、紐に何かが挟まっている事に気がつく。それは白い紙で、風優は不思議そうな顔をし、それを抜き取った。そこには暗号のような文字がただ記されているだけだった。

『TOUNA RAABIATSU ISIKESIGIU フェーブ』

 しかし、風優はその暗号を理解したのであろう。風優は刀を取り出し、自らの指を軽く傷つける。すると、赤い血が出てきた。それにフェーブの名前をしみこませ、血を滲ませた。
 それを懐にしまう。フェーブの名はゆがんで消えた。それを確認せず、風優はただ空を仰ぐ。

「ありがとよ、フェーブ兄」

 ぎゅっと握り締めた掌は真っ赤に染まる。まるで、楓のような紅さだった。







『真っ赤に染まったのは誰の掌か』終