「あの戦争は確かに俺らにとっては悲痛な物だったかもしれない。だけど、復讐ばかりじゃ何も始まらない。解っているんだろう?」

 男は更に続けた。

「あの時、不死になった者は全部で十人。その内の三人は俺を含めてクロノスに所属している」
「お前は……あの出来事を許せるのか? それでも、なお……あの化け物どもを守るって言ってるのか? ふざけんじゃねぇっ!」



 戦争。伏魔殿が眠る大戦と知られる魔族戦争。人間と魔族、人魚、亜人と決別が始まった場所だ。
 始まりは一人の男性が一人の竜に呪いをかけた事から始まる。竜は死に、それを知った人間以外の種族が怒り狂った。人間と、他種族との戦争だ。
 その戦争で亡くなったのはほとんどが一般市民だった。
風優は憎しみの籠った瞳で男を睨みつけた。男はただ悲しそうに微笑むと、ゆっくりと立ち上がる。

「確かに竜たちが人間を殺し回ったのかもしれない。だけれども、今はこんなに平穏な世の中なんだ。俺だって、最初は世界を恨んだ。でも、そんな事よりも……もっと大切な事があるんじゃないのか?」
「大切な事だって……? 死んだ奴をほったらかして、大切な事も糞もあるか!」
「本当に死んだ奴はそれを望んでいるのかい?」

 風優は目を見開いて黙り込んだ。次の言葉が出なかった。
 それを見透かしたように、男はふっと微笑んだ。

「別に答えは急がなくてもいい。俺たちには長い年月があるんだ。数日でも、数年でも、数百年、数千年……いくらでも待つさ」

 彼はそれだけ言うと、颯爽とその場を後にした。手をひらひらとさせ、扉を閉める。風優の目前は一瞬にして真っ暗に染まった。それと同時に、拳で床を叩きつける音が響き渡る。









 男は数時間の度に何らかの話を持ち込んで来た。本格的に説得している男――ヴェントはとても話し上手だ。
 しかしながら、風優は右から左に話を流している状態でもある。彼は身振り手振り大袈裟に事を話し、話も大きく膨らませる。笑いどころもきちんと作り、落語家になればいいのに、と風優が思った程だ。
 それが、五回ほど続いた時、ヴェントはぱたりと来なくなった。鉄格子の後ろにある大きな壁。そこの上には微かに夜空が伺えた。

「そういえば……あの時もこんな場所だったな」

 ふと、思い出すのは自分に不死を授けた男。五千年も前の霞がかった記憶。
 自分に世界が憎いかと聞き、助けるかわりに協力しろと言ってきた男。この不死がまだ続いているのならば、恐らく、まだ生きているのだろう。
 協力と言われた割に、頼まれたのはたった三事だった。聖都・帝都・王都の王を暗殺。確かにこれは行ったが、この次の頼まれごとは未だに聞いていない。
 もしや、殺した時に協力と言うのは終わったのではないだろうか、と風優は首をかしげる。
 しかし、本人に会ってみない限り、そこは永遠に解らないままだ。
 風優が深いため息をつくと同時に、再び横側から明るい光が漏れた。思わず、目を細めて、そちらを見れば、顔を真っ青にさせたフェーブが歩いて来ている。

「風優! おるか!?」
「その声……フェーブか?」
「おう」

 フェーブはそう言って風優の檻に近寄ってきた。彼にしては珍しく、しょんぼりとしている。それが、眉を伏せたラブラドールに似ているので、思わず声を出して笑ってしまう。
 そんな風優の様子を不思議に思ったのか、彼は首を傾げた。

「変な薬でも飲まされたかえ?」
「いや、何でもねぇ。それよりも早く鍵を貸してくれよ。どうも、手首が痛くてな」

 フェーブの顔が一瞬にしてくしゃりとしてしまう。言葉を間違ったか、と内心思いつつも、それに対して言う言葉は無い。彼は檻の扉を開けて、檻の中に入ってきた。

「クロノスの人はどうした? ヴェン……なんだったかな」
「あいつらなら、追っ払った」
「そうかい」

 フェーブはそう言って、風優の両手首を縛っていた鎖の元を手繰り寄せ、鍵でそれを外した。
 自由になった風優はゆっくりと立ち上がり、鎖でつながれていた手首を動かして、確認なんかをする。手首は少しだけ痛んだが、気にするには値しない。

「あの男、何か言っていたか?」

 風優が何気なく聞いた。あの男はタダで帰るような男ではない気がしたのだ。フェーブは一瞬口を開きかけたが、すぐに口を閉じた。その様子に風優は黙り込む。

「風優。ここを出たら、わしは逃げる」
「は?」
「だから、ここを出るんじゃよ。風香を連れて、逃げる」
「おいおい、何言ってんだ?」

 フェーブの瞳はどこまでもまっすぐだった。風優は何も言えなくなる。しかし、フェーブは何も言わなかった。二人が檻から出て、クロノスの拠点と思われる場所を逃げて行く。
 純白な廊下がどこまでも続いていた。壁には三匹の鳥が描かれており、黒い鳥、白い鳥、虹色の鳥の絵がず奥の鉄扉までずっと続いていた。

「酔興だなぁ」
「鳥神話じゃな……。クロノス精神の元じゃ」

 そう言ったフェーブはどこか暗い。風優が何気なく視線を落としていくと、彼の手に己の刀がある事に気がつく。しかし、彼が返してくれる気配はない。どうしたものか、と考えが去来した。
 奥まで辿りつき、扉を開く。そこは街の裏通りだった。風優は感嘆し、懐かしい外の空気を堪能した。
 深呼吸して、背後を振り返ると未だに暗い顔をしたフェーブがいる。

「んだよ。刀、さっさと返せ」

 風優は無理やり刀を奪おうとした時だ。フェーブはそれを拒むように背後にやった。流石の風優も眉間にしわを寄せた。
 普段の闊達としたフェーブはどこへやら。今の彼は明朗ではない。

「まさか、本気であの女を連れて逃げるっていうんじゃねぇだろうな?」
「本気じゃ。だから、わしは今日ここを出る」
「考え直せ。シュレイド・ミアテイスは裏切り者を許してくれねぇぜ。この間も古株がそれで死んだろう?」
「あの男が言った」
「はぁ?」

 あの男というのは、風優をここで拉致した奴だろう。

「組織から抜けるのならば、保護してくれると」
「お前、本気で言ってるのか? あいつらがそれを守る道理なんて、ねぇんだ」
「だったら、わしを殺すか?」

 フェーブは俯いていた顔をあげた。と、同時に彼の手が風優に向いた。否、銃口が風優に向く。風優は言葉を無くした。武器はフェーブの手元だ。

「お前、初めからそのつもりで……」
「不死の制約を知ってるじゃろう? 人間と人間は同じ箱に入れる。しかし、人間と不死は同じ箱には入れない。だが、不死と不死は同じ箱に入れる。不死は不死で殺せる」

 風優の背中に冷や汗が伝う。フェーブの目は本気だ。

「俺にお前を見逃せと言いたいのか?」
「ああ。そうじゃ。もしくは、お前もやめて、クロノスに付け」
「俺にシュレイド・ミアテイスを裏切れと?」

 銃口は無慈悲に風優の頭を狙っている。風優が銃口から避けようと身体を動かしたが、フェーブはもう片方の手を動かし、風優の喉元を掴みあげ、壁に押し付けた。
 逆効果になった事を舌打ちしたが、事は逃げる事の出来ないところまで来ている。

「てめぇ……」
「すまんのぅ。こっちも必死じゃ。シュレイド・ミアテイスじゃあ、あの娘は生きてはいけない」