『真っ赤に染まったのは誰の掌か』
シュレイド・ミアテイスの中でも、フェーブは無類の女好きだ。
そんな噂が立つのは、彼が毎日遊楽に向かうからだろうか。
今宵、フェーブは千鳥足で花街の一角に戻ってきた。珍しく鼻歌なんかを歌い、風優の部屋にもぐりこんだ。
読書をしていた風優は隻眼をやかましいと言わんばかりに細め、高揚した彼に対してため息を漏らす。
「丑の刻なんだから、静かにしやがれ」
「風優ー、そう冷たい事を言うな。今宵は一緒に踊りましょってね」
「御免被る」
風優はフェーブから、文字に視線を落とした。
フェーブは何も言わなかった。彼は少しだけ寂しそうな顔を見せると、千鳥足を再び動かして、風優の部屋から出ていった。
次の日も、彼は遊楽に行ったようだった。風優としても、対して気にはしていなかったが、仲間内で広がる噂に眉をひそめるしかなかった。
「フェーブ様が、一人のあそびめに一目ぼれだってよ」
「どんな奴なんだい?」
「それがよぉ、黒い髪に美しい女さ」
「フェーブさんの好みって、ばらつきがあって、よくわからねぇーや」
「ちげぇねぇ。あ、風優さん。フェーブさんの話聞きやしたか?」
ふと、縁側を歩いていた風優は足を止めて、庭先でフェーブの噂を話す彼らに視線を移す。
彼らは嬉々として、風優の反応を見ていた。色沙汰がない風優の反応を伺いたいのだろう。
「相手は遊女か……」
「そうですぜ! 今じゃ、あの女の所に毎日行ってるとか。その内、常連になっちまうかもしれやせんぜ」
三人の中で一番若いこいつは風優に何かと話しかけてくる男だった。ぱっと見て、シュレイド・ミアテイスの中で一番浮くやつだろう。
なにせ、十代後半だからだ。風優の見た目も二十歳前後だったが、彼の若さはずば抜けている。
若さのせいなのか、この手の話に関しては、彼が一番話したがっているのだ。
「アエバ、フェーブよりもお前の方が女に興味があるんじゃねぇのか?」
そう告げてやれば、彼は顔を真っ赤にして何度も首を振った。からかいがいのある奴だ、と風優は思った。
「ち、違いますよ! 何勘違いしてるんですか! 風優さん!」
「風優さん、聞いてくださいよ。こいつ、花街商家の女に惚れてるんですよ」
「言わないと約束したではないかぁっ! 殺生でござるぅうう!」
「いっつも、相談してきて煩いったらありゃしねぇ」
仲間達からも冷やかされ、彼はますます恐縮してしまった。からかいすぎたかと、風優は内心思った。と、その時だった。
ばたばたと庭先で下駄の音が響いた。風優と三人が不思議そうな顔をして、池のある庭に視線を移した時だった。
フェーブが顔を真っ青にし、急ぎ足で戻ってきたのだ。若い男――アエバが小首を傾げて、そんな彼に近寄った。
「フェーブさん、何かあったんですかい?」
「あ、アエバ君たちに……風優か」
「どうした?」
風優は縁側から降りて、庭の方を歩いて行く。
裸足だったが、そんな事よりもフェーブだ。彼の顔色がよろしくない。フェーブは少しだけ泣きそうに顔をゆがませ、「何でもないんじゃよ」と顔を俯かせた。
風優は背後にいた三人に視線を移すが、後ろの三人は顔を見合わせるだけだった。風優は何も語ろうとしない彼の腕を引き、縁側に座らせた。
泥だらけになった裸足を懐に入れていた無地の布で拭き、彼の隣に腰を下ろす。しかし、彼は何も喋らなかった。
「……女か?」
探るような一言に、フェーブの手が止まった。いや、微かに震えているように見える。風優は深いため息をついて三人を散らせた。
そして、フェーブを連れ、彼の部屋に向かう事となる。
フェーブの部屋は風優の部屋と違って、たくさんの物が置かれていた。
他国の美しい女の油絵だったり、値段の張りそうな坪、彼の趣味である機械部品、一番目に引いたのは美しい着物と桜模様の箱だった。
大きめの桜がふんだんに使われた着物は、きっと女に送る物だろう。
「良い着物だな」
彼は萎れた顔で無雑作にそれを押し入れにつめようとした。風優はそれを見かねて、彼から着物を奪い取る。
「……こういう着物はな、大事にしてやらねぇとすぐに美しさがなくなっちまう」
その言葉は彼に届いたのかは解らない。ただ、彼は無言でうなずいた。風優はそれを丁寧に畳み、着物が入っていたであろう箱を開けた。
「ふーん。ここの花街で一番高い着物じゃねぇか。俺が女だったら、絶対に着てるぜ?」
わざと女という言葉を強調してやれば、彼の肩が震えた。
風優の予感は確信に変わる。風優は高い大きな紙に手を伸ばした。触れれば、高価なのだろう。
すっと絹のような品質だった。それで着物を包み、丁寧に箱に入れた。
「着物を渡すなら、俺も付き合ってやる」
「風優……」
「なんだ?」
風優が視線をフェーブに移した時だった。
風優の視界が一瞬にして真っ暗になる。理由は簡単だった。風優が持った箱を彼が奪い取ろうとしたのだ。堅の大きいフェーブは、あっという間に風優からそれを奪い取った。
「もういいんじゃ……」
もういい、と首を振ったフェーブ。風優は何も言う事ができなかった。大事そうにそれを抱えた彼は一層惨めに見えた。
風優は彼の目が見れず、彼が集めていた物品に目を移す。その中で、女物と思われる枷がある。風優はそれを見て目を細めた。珊瑚の石で作られた枷だ。高価だったろうに、と。
「意味がわからねぇよ。好きなら、それでいいじゃねぇか」
「違うんじゃ」
風優は再びフェーブに視線を移した。彼は唇をかみしめ、正座している。握りしめていたズボンはよろよろになってしまっていた。
風優は彼の言葉を待つ。開け放たれた障子からは秋の終わりを知らせるイチョウの葉が風の乗って入ってきた。
風優がそれに手を伸ばし、指で遊び始めたころだ。フェーブは力を緩め、小さな声で呟いた。
「一人殺した」
「殺した?」
「ああ……殺したんじゃ。気がついたら、殺してた」
がたがたと震える彼の指。彼らしくない反応だった。
いつものフェーブなら、「三人殺したがじゃ」や「全滅させた!」と笑っていう。どこか歪んだ奴だった。しかし、今のフェーブは人の顔をしていた。
「男でも殺したか?」
元々、女絡みなのだ。嫉妬して、やってしまうこともあるかもしれない。
「いや、子供……」
「ガキ殺したってか」
風優は懐から煙草盆と煙管を取りだした。草を詰め、火種を中にいれてやると、いつも通りの煙が漂う。
それを口の中で遊びながら、フェーブの様子を伺った。ようやく、彼が次の言葉を紡いだのは夕焼け時だった。いつもよりも真っ赤な夕日が彼の泣き顔を真っ赤に焦がしている。
「あの子が孕んだんじゃ……。清楚で、優しい子のあの子が」
ぽつりぽつりと話し始めたフェーブ。
「頼まれたんじゃ……殺してくれって。わしはあの子の腹を蹴ったり、殴ったりした。多分、子供はもう……死んでしまったじゃろう」
誰に頼まれた、とは言えなかった。彼は頭を抱えて、泣きそうに顔を歪めた。
「多分、わしの……」
「言うな」
「どういう顔で会えばいい。わし、わしゃ……」
「お前の、とは限らないだろ」
「だが、あの子は……う、うぅう」
声は次第に嗚咽に変わって行った。きっと、フェーブも色々と考えたのだろう。しかし、結果はこの通り。
どう足掻いても、投げてしまった賽はもう戻らない。ただ、彼の肩に手を置き、ぽんぽんと子供のようにあやすしかない。
「好きじゃった……初めてじゃった……うぅううぐぅう」
初めて、聞いたような嗚咽だった。真っ赤に染まったのは、誰の血か。
初恋、という物は何がともあれ、心をぐっさりと傷つける物だ。風優とて、初恋こそはあったが、甘酸っぱい、それでいて、かなわないと知ってからはそれを見て見ぬふりをした。
どこぞの、おなごみたいに顔を染められたら違っていたであろうが、男は一日中恋など考えない。
しかし、目前の男は違うようであった。食事は食べないし、一日中ぼーっとしてしまっている。
風優の部屋に居座る彼は、何もする気はないようで、畳の上にごろりと仰向けに転がっているだけだ。
風優はぬるくなったであろうお茶を、再び淹れに行こうと腰をあげた。
「風優」
「ん?」
名前を呼ばれて振り返ると、フェーブは真っ赤な目で首を振った。
「お茶はいらん……。しかし、お願いがある」
「なんだよ」
彼の言葉に風優はその場に腰を下ろす。もう、日は沈み、外からは冷たい風が入ってきていた。何もない部屋に珍しく一つの物がある。それは珊瑚の枷だ。フェーブは怯えたようにその枷を風優に手渡す。
「それをあの子に送ってほしい」
「着物はいいのか?」
「ああ。そんなもん送って、喜ぶとは思えないしなぁ」
「そうかい……本当に俺が行っていいんだな?」
「おう。男に二言はないんじゃよ?」
フェーブはいつもの調子を取り戻したように、にやっと笑った。その笑顔に安心した風優はゆっくりと立ち上がる。しかし、彼は何かに気がついたように、風優の名を呼んだ。
「あ、外は寒い。着流しだけじゃ、寒かろう?」
「別に長居する予定はねぇよ。すぐに渡して帰ってくる」
「お前は本当に遊びが嫌いじゃのぅ」
風優はわずかに表情をこわばらせた。それに気がついたフェーブは不思議そうな顔をする。風優は、「ああいう雰囲気は苦手なんだよ」と小さな声で返事を返すと、ゆっくりとした足取りで部屋を後にした。
縁側を歩いて玄関に向かっていると、向かいから若い面子が歩いてくるのが解った。昼間の三人だ。風優の存在に気がつくと、彼らは少しだけ悲しそうな表情を見せるのであった。
「風優さん、フェーブさんは……」
「問題はねぇ。明日になったら治ってるだろ」
「そうですかねぇ……風優さん、どちらに?」
シュレイド・ミアテイスの中でも、フェーブは無類の女好きだ。
そんな噂が立つのは、彼が毎日遊楽に向かうからだろうか。
今宵、フェーブは千鳥足で花街の一角に戻ってきた。珍しく鼻歌なんかを歌い、風優の部屋にもぐりこんだ。
読書をしていた風優は隻眼をやかましいと言わんばかりに細め、高揚した彼に対してため息を漏らす。
「丑の刻なんだから、静かにしやがれ」
「風優ー、そう冷たい事を言うな。今宵は一緒に踊りましょってね」
「御免被る」
風優はフェーブから、文字に視線を落とした。
フェーブは何も言わなかった。彼は少しだけ寂しそうな顔を見せると、千鳥足を再び動かして、風優の部屋から出ていった。
次の日も、彼は遊楽に行ったようだった。風優としても、対して気にはしていなかったが、仲間内で広がる噂に眉をひそめるしかなかった。
「フェーブ様が、一人のあそびめに一目ぼれだってよ」
「どんな奴なんだい?」
「それがよぉ、黒い髪に美しい女さ」
「フェーブさんの好みって、ばらつきがあって、よくわからねぇーや」
「ちげぇねぇ。あ、風優さん。フェーブさんの話聞きやしたか?」
ふと、縁側を歩いていた風優は足を止めて、庭先でフェーブの噂を話す彼らに視線を移す。
彼らは嬉々として、風優の反応を見ていた。色沙汰がない風優の反応を伺いたいのだろう。
「相手は遊女か……」
「そうですぜ! 今じゃ、あの女の所に毎日行ってるとか。その内、常連になっちまうかもしれやせんぜ」
三人の中で一番若いこいつは風優に何かと話しかけてくる男だった。ぱっと見て、シュレイド・ミアテイスの中で一番浮くやつだろう。
なにせ、十代後半だからだ。風優の見た目も二十歳前後だったが、彼の若さはずば抜けている。
若さのせいなのか、この手の話に関しては、彼が一番話したがっているのだ。
「アエバ、フェーブよりもお前の方が女に興味があるんじゃねぇのか?」
そう告げてやれば、彼は顔を真っ赤にして何度も首を振った。からかいがいのある奴だ、と風優は思った。
「ち、違いますよ! 何勘違いしてるんですか! 風優さん!」
「風優さん、聞いてくださいよ。こいつ、花街商家の女に惚れてるんですよ」
「言わないと約束したではないかぁっ! 殺生でござるぅうう!」
「いっつも、相談してきて煩いったらありゃしねぇ」
仲間達からも冷やかされ、彼はますます恐縮してしまった。からかいすぎたかと、風優は内心思った。と、その時だった。
ばたばたと庭先で下駄の音が響いた。風優と三人が不思議そうな顔をして、池のある庭に視線を移した時だった。
フェーブが顔を真っ青にし、急ぎ足で戻ってきたのだ。若い男――アエバが小首を傾げて、そんな彼に近寄った。
「フェーブさん、何かあったんですかい?」
「あ、アエバ君たちに……風優か」
「どうした?」
風優は縁側から降りて、庭の方を歩いて行く。
裸足だったが、そんな事よりもフェーブだ。彼の顔色がよろしくない。フェーブは少しだけ泣きそうに顔をゆがませ、「何でもないんじゃよ」と顔を俯かせた。
風優は背後にいた三人に視線を移すが、後ろの三人は顔を見合わせるだけだった。風優は何も語ろうとしない彼の腕を引き、縁側に座らせた。
泥だらけになった裸足を懐に入れていた無地の布で拭き、彼の隣に腰を下ろす。しかし、彼は何も喋らなかった。
「……女か?」
探るような一言に、フェーブの手が止まった。いや、微かに震えているように見える。風優は深いため息をついて三人を散らせた。
そして、フェーブを連れ、彼の部屋に向かう事となる。
フェーブの部屋は風優の部屋と違って、たくさんの物が置かれていた。
他国の美しい女の油絵だったり、値段の張りそうな坪、彼の趣味である機械部品、一番目に引いたのは美しい着物と桜模様の箱だった。
大きめの桜がふんだんに使われた着物は、きっと女に送る物だろう。
「良い着物だな」
彼は萎れた顔で無雑作にそれを押し入れにつめようとした。風優はそれを見かねて、彼から着物を奪い取る。
「……こういう着物はな、大事にしてやらねぇとすぐに美しさがなくなっちまう」
その言葉は彼に届いたのかは解らない。ただ、彼は無言でうなずいた。風優はそれを丁寧に畳み、着物が入っていたであろう箱を開けた。
「ふーん。ここの花街で一番高い着物じゃねぇか。俺が女だったら、絶対に着てるぜ?」
わざと女という言葉を強調してやれば、彼の肩が震えた。
風優の予感は確信に変わる。風優は高い大きな紙に手を伸ばした。触れれば、高価なのだろう。
すっと絹のような品質だった。それで着物を包み、丁寧に箱に入れた。
「着物を渡すなら、俺も付き合ってやる」
「風優……」
「なんだ?」
風優が視線をフェーブに移した時だった。
風優の視界が一瞬にして真っ暗になる。理由は簡単だった。風優が持った箱を彼が奪い取ろうとしたのだ。堅の大きいフェーブは、あっという間に風優からそれを奪い取った。
「もういいんじゃ……」
もういい、と首を振ったフェーブ。風優は何も言う事ができなかった。大事そうにそれを抱えた彼は一層惨めに見えた。
風優は彼の目が見れず、彼が集めていた物品に目を移す。その中で、女物と思われる枷がある。風優はそれを見て目を細めた。珊瑚の石で作られた枷だ。高価だったろうに、と。
「意味がわからねぇよ。好きなら、それでいいじゃねぇか」
「違うんじゃ」
風優は再びフェーブに視線を移した。彼は唇をかみしめ、正座している。握りしめていたズボンはよろよろになってしまっていた。
風優は彼の言葉を待つ。開け放たれた障子からは秋の終わりを知らせるイチョウの葉が風の乗って入ってきた。
風優がそれに手を伸ばし、指で遊び始めたころだ。フェーブは力を緩め、小さな声で呟いた。
「一人殺した」
「殺した?」
「ああ……殺したんじゃ。気がついたら、殺してた」
がたがたと震える彼の指。彼らしくない反応だった。
いつものフェーブなら、「三人殺したがじゃ」や「全滅させた!」と笑っていう。どこか歪んだ奴だった。しかし、今のフェーブは人の顔をしていた。
「男でも殺したか?」
元々、女絡みなのだ。嫉妬して、やってしまうこともあるかもしれない。
「いや、子供……」
「ガキ殺したってか」
風優は懐から煙草盆と煙管を取りだした。草を詰め、火種を中にいれてやると、いつも通りの煙が漂う。
それを口の中で遊びながら、フェーブの様子を伺った。ようやく、彼が次の言葉を紡いだのは夕焼け時だった。いつもよりも真っ赤な夕日が彼の泣き顔を真っ赤に焦がしている。
「あの子が孕んだんじゃ……。清楚で、優しい子のあの子が」
ぽつりぽつりと話し始めたフェーブ。
「頼まれたんじゃ……殺してくれって。わしはあの子の腹を蹴ったり、殴ったりした。多分、子供はもう……死んでしまったじゃろう」
誰に頼まれた、とは言えなかった。彼は頭を抱えて、泣きそうに顔を歪めた。
「多分、わしの……」
「言うな」
「どういう顔で会えばいい。わし、わしゃ……」
「お前の、とは限らないだろ」
「だが、あの子は……う、うぅう」
声は次第に嗚咽に変わって行った。きっと、フェーブも色々と考えたのだろう。しかし、結果はこの通り。
どう足掻いても、投げてしまった賽はもう戻らない。ただ、彼の肩に手を置き、ぽんぽんと子供のようにあやすしかない。
「好きじゃった……初めてじゃった……うぅううぐぅう」
初めて、聞いたような嗚咽だった。真っ赤に染まったのは、誰の血か。
初恋、という物は何がともあれ、心をぐっさりと傷つける物だ。風優とて、初恋こそはあったが、甘酸っぱい、それでいて、かなわないと知ってからはそれを見て見ぬふりをした。
どこぞの、おなごみたいに顔を染められたら違っていたであろうが、男は一日中恋など考えない。
しかし、目前の男は違うようであった。食事は食べないし、一日中ぼーっとしてしまっている。
風優の部屋に居座る彼は、何もする気はないようで、畳の上にごろりと仰向けに転がっているだけだ。
風優はぬるくなったであろうお茶を、再び淹れに行こうと腰をあげた。
「風優」
「ん?」
名前を呼ばれて振り返ると、フェーブは真っ赤な目で首を振った。
「お茶はいらん……。しかし、お願いがある」
「なんだよ」
彼の言葉に風優はその場に腰を下ろす。もう、日は沈み、外からは冷たい風が入ってきていた。何もない部屋に珍しく一つの物がある。それは珊瑚の枷だ。フェーブは怯えたようにその枷を風優に手渡す。
「それをあの子に送ってほしい」
「着物はいいのか?」
「ああ。そんなもん送って、喜ぶとは思えないしなぁ」
「そうかい……本当に俺が行っていいんだな?」
「おう。男に二言はないんじゃよ?」
フェーブはいつもの調子を取り戻したように、にやっと笑った。その笑顔に安心した風優はゆっくりと立ち上がる。しかし、彼は何かに気がついたように、風優の名を呼んだ。
「あ、外は寒い。着流しだけじゃ、寒かろう?」
「別に長居する予定はねぇよ。すぐに渡して帰ってくる」
「お前は本当に遊びが嫌いじゃのぅ」
風優はわずかに表情をこわばらせた。それに気がついたフェーブは不思議そうな顔をする。風優は、「ああいう雰囲気は苦手なんだよ」と小さな声で返事を返すと、ゆっくりとした足取りで部屋を後にした。
縁側を歩いて玄関に向かっていると、向かいから若い面子が歩いてくるのが解った。昼間の三人だ。風優の存在に気がつくと、彼らは少しだけ悲しそうな表情を見せるのであった。
「風優さん、フェーブさんは……」
「問題はねぇ。明日になったら治ってるだろ」
「そうですかねぇ……風優さん、どちらに?」

