どれだけ机の上に地図を広げてみても、どんなに遠い地の風景が描かれた絵を見ても、私の世界は厚さ15センチ高さ6メートルの白い壁に囲われた、たった100メートル四方で完結している。

手入れの行き届いた緑豊かな庭園も、色とりどりの花と虫たちが舞い踊る花壇も、滑らかな彫刻でつくられた噴水を巡る澄んだ水も、私には同じ色に映った。

生まれてから13年と3カ月の間見ていた景色は、とうに色褪せてしまい色を失った真っ白な世界で、今日もまた坦々と、刻々と、同じ時間を繰り返している。

私の住む屋敷は特殊な加工を施した大理石の石造りで、敷地の三分の一ほどの面積を使った左右対称の二階建てはまるで神殿と呼んでもおかしくはなかった。

廊下や部屋のいたるところには、絵画や彫刻、鎧や刀剣などの装飾品が飾られており、吹き抜けになっている大広間の天井には巨大なステンドグラスの天窓がある。
日が差すとその模様が床に映し出された光景は幻想的で見る人が見れば感動するものなのだろう。

だが、そのどれもがいったいどれだけの価値があるものなのか、私にはわからないし興味もなかった。私にはみんな真っ白に見えた。

この屋敷に住んでいるのは私を含めて6人。

しかし私は孤独だった。独りでいることが孤独ではないということを私は物心ついたときから知っていた。

だから孤独だった。

「だった」というのは過去形だ。
つまり私は今孤独ではない。