HR終了間際。



後方の扉から、息を殺してこっそり忍び込んだ。


2年C組。



幸い席は最後尾の廊下側。超最寄りだ。



スピードスケーター並みの低い体勢で音もなく机に近づき、ゆっくりと席によじ登る。



「大吾」



隣の席から小声で俺に話しかけてきたのは、友人のひとり、永野啓一(ナガノ・ケイイチ)。



「おはよう啓一。悪いけど俺があたかも最初からここに座っていたかのように振る舞ってくれないか」



「…もうバレてるよ」



苦笑いを顔に浮かべて啓一が指差した教卓には、同じく笑みを浮かべた担任の姿があった。



苦笑いというか、



怒り笑いというか。



「あー、その。お早うございます、稲垣先生」



今週一番の作り笑いで、俺は稲垣の怒りをそぎ落としにかかる。



「今日も渋めのネクタイがばちっと決まってますね」



「…おお、ありがとな」



つかつかと俺の机の前に歩み寄る稲垣。
身構える俺。



「日比野」



「はいっ?」



にこやかな表情を顔に貼り付けて、稲垣が気さくに語りかける。



「体罰についてどう思う?」



「とぉっ」



瞬時の反応で、俺は教室の床を蹴って跳び退った。



俺の顔のあった場所には、稲垣の大きな拳が突き出されている。



「…そうか、反対か」



「待って!先生待って!いま体罰の領域を易々と踏み越えてたから!」



稲垣との間合いをはかって、必死の弁明を試みる。



「何を言う。先生の持論では生徒にケガをさせない範囲の体罰は許容なんだ」



「質問!今のは果たして“ケガをさせない範囲の体罰”でしょうか!」



「実際ケガしてないじゃないか」



「当たってたら鼻折れるわ!」



稲垣の馬鹿馬鹿しい信念は、俺のヤワな鼻骨を粉砕する拳には込められていないようだな、どうやら。



「大げさな奴だな。当たってもせいぜい鼻血がでるくらいだ」



「先生、一旦“ケガ”の定義について話し合いましょうか!」



「ぴぃぴぃ叫んでないで席につけ。HRは終了。では、3限の数学でまた会おう」



そう言って颯爽と教室を出ていく稲垣。その背中を見送って、鼻骨粉砕の危機を免れた俺はやっと自分の席についた。