どちらからともなく笑い合うと、英司は転がったままだった傘を拾い上げた。


「風邪、引くなよ」

「え……」


差し出されたブルーの傘。

戸惑っていると、英司はそれを半ば強引にあたしに手渡した。


「でも、英司……」

「俺はタクシーでも拾うさ。だから」

「……ありがとう」


そう言ったあたしに、英司はすぐさま背を向けた。


「それじゃあな」

「うんっ、お疲れ様です!」

「お疲れ」


そう言って、今度こそ英司は走り去る。

ビシッと決め込んだスーツが、走ったからだろうか、靴から飛んだ泥で汚れていた。


遠ざかる、背中。
足音が、雨音に混じって聞こえなくなる。


あ……


「……英司!」




思わず叫んでいた。


鞄で雨避けをしていた英司は、スルリと振り返る。

人並みの中、英司はまっすぐにあたしを捕えた。
まるで時間の流れが止まってしまったみたい。

とてもゆっくり、ゆっくりと流れている気がした。

傘から落ちる雨粒

行き交う人々

瞬き


それらが全部、スローモーションに感じる。

小さく息を吸い込むと、あたしは満面の笑顔を向けた。



「……結婚! おめでとう。
 
それから……それから、ありがとう!」


ありがとう……。


あたしの言葉を受け取った英司は、静かに微笑むと、力強く頷いた。
瞬間、元に戻る時の流れ。

忙しなく動き始めた人々に埋もれて、英司の姿は見えなくなった。



言えた……。

やっと、言えた……。


『おめでとう』



すべての色を霞ませる雨の夜。
目の前に、色とりどりの傘の花が咲いていた。