空回りしている。
先生のことも、
裄埜君のことも、
何もかもが思い通りに動かなくて
その原因が何なのか、どうすれば良いのか
考えても考えても答えが見つかりそうにない。
「雨音、ご飯よ」
突っ伏していたベッドから起きて
その勢いのまま階段を降りると
食卓には二人分の食事だけが用意されていた。
「アレ?」
「お父さんは今日、会社の方の
送別会で遅くなるって言ってたわ」
私の反応にお母さんは先読み
尋ねる前に答えてくれた。
「そうなんだ」
「久々に二人っきりね」
何処か嬉しそうに笑う顔につられて
私もフフッと笑う。
一応、誤解のないようにいうと
娘の私から見ても夫婦仲はとても良い。
お父さんはお母さんと十歳以上年が
離れているけど優しくて、普段は
滅多に寄り道もしないで真っ直ぐ
帰ってくるほどの愛妻家。
血の繋がっていない連れ子の私にも
良くしてくれる。
それでも、やはり本当の親子ではない以上
お互いに気を使ったりしてしまうのは
仕方ない事だと思うし、お母さんを
大事にしてくれるお父さんを
心から尊敬していることには変わりない。
「あ、それどう?
隣の奥さんに聞いて作ってみたの」
グリンピースと豆乳と他に
野菜が色々入ったポタージュぽいモノは
普段和食が中心のお母さんにしては
珍しい一品だった。
「うん、美味しい」
「ホント?お父さん
グリンピース好きだから喜んでくれるかしら」
「と、思うよ」
ホントあてられるくらいに仲が良い。
お母さんは言わないけど
もし再婚することがあれば
子供のいない人が良いと言われたと
お父さんが何時かポロッと漏らしたのを
聞いた時、私はお母さんには絶対に
幸せになって欲しいと心から願った。
私はお母さんが笑う顔が好き。
その顔を見てるだけで
私も笑って良いんだと思えるから。
「毎日ご飯作ってくれて、
ありがとうお母さん」
「どうしたの?急に」
「……なんか言いたくなって」
「そう、どういたしまして」
私の変な態度にお母さんが
恭しく頭を下げて応えるから
二人とも耐え切れなくって終いに
吹き出してしまった。
幸せだと思う。
その一言がいえる私は
とても幸せなのだと思う。
「所でお気に入りの先生は元気?」
「え?うん、多分」
いきなり先生の話が上がってドキリとした。
“知ってる、だから何だ”
無駄な嘘をつく人ではないし
ましてや私のことを思っての言葉では
ないことくらい分かってるけど。
―――お母さんが初めて会った先生に
話すなんて余程のこと。
先生はお母さんになんて言ったんだろう。
二人がどんな話をしていたか
先生がどんな顔をしてそれを
聞いていたのか、知りたくても聞けない。
ねぇ、何の為に先生はお母さんと会ったの?
「先生もコレ美味しいって
言ってくれるかしらね?」
「え?」
「どういうのが好きそう?
和食、洋食とか」
「…………」
先生は、そういう事が言えない人なの。
こうやって家族と食卓を囲むことを
一度も経験したことなくて。
それはどんなに悲しいことか、
そしてその事実を知ってる私が
自分を幸せだったんだと思うことは
果たして驕りなのかと思い悩むことすら
先生を傷つけることにならないか
考えることが怖い。
「独身で一人暮らしなんでしょう?
ご飯に誘ってみる?」
「それは……」
「生徒が教師をっていうのは
学校に知られたら不味いんでしょうけど
あの先生は特別誰かを贔屓とかしなさそう」
「す、好き嫌いが多くって
多分ご飯系は無理かも」
「事前に食べれないもの聞いてくれば
ちゃんと合わせるわよ」
「えと…………他人の作ったものは
食べれないっぽい」
「あらまぁ、潔癖症なのね」
「う……ん」
本当の事は言えないから
変に思われないようにさり気なく
言わなくてはと……そう思うのに。
「……違うの?」
「…………違わない」
もっとスラスラ嘘が付けないものかと
自分に腹が立つ。
特に相手がお母さんだとどうしても
それが上手くできなくっていつも
簡単にバレてしまう。
「もし先生が結婚したら大変ね」
「え……?」
先生が誰かと、結婚?
想像ができない。
先生が結婚するというのが
ピンとこない。
「もしも、あんな人が娘の旦那様になったら
お母さん自慢しちゃうなぁ。
一緒に買い物に付いてきて貰らおうかしら」
「お、お母さん」
「うちの娘婿なんですよ、
いいでしょう~って」
「お母さんてば!」
お母さんはいつも私が先生の話をすると
頷きながら聞いてるだけだったのに。
実際に会って相当気に入ってしまったのか
嬉しそうに笑っている。
先生はホント……私以外には
いい顔するから。
「あら、照れてるの?可愛いわね。
世の中には先生と結婚している
元生徒さんは沢山いるわよ」
私と先生が……結婚とか。
無理だから。
可能性1%すら無いから。
先生が此処にいたら
きっとせせら笑うに決まってる。
「ホント絶対ないし……」
それでもお母さんはクスクス笑うだけ。
「お母さんはね、貴方が好きになった人なら
誰でも応援するつもり。
相手が例え先生でもね」
「…………っ」
そういう人じゃないの。
お母さん、先生は……違う。
言えないけど、違うの。
私が俯いてしまって
答えられなくなるとお母さんは優しい声で、
「自分に正直に生きてね。
他人に迷惑をかけなければ
誰に遠慮することもないのよ、
貴方の人生なんだから」
「うん……うん、ありがとうお母さん」
一言一言が胸にくる。
自分がどれだけ愛されているのか思い知る。
私は十分に幸せだから
先生にこの思いを知ってもらいたい。
それが自己満足で
押し付けがましい行為だと
人は思うかもしれないけど。
先生、生まれてきてありがとうって
私が言ったら怒る?
先生にとって迷惑だと言われても
好きな人に、生まれてきて良かったと
思って欲しいと願ってるって
聞いたら眉をひそめるかもしれないけど。
それでも、
――先生に、そう感じて欲しい。
