矢車の夢




 文久3年。西暦にすれば1860年代。
 数年前に黒船でやってきた異人によって、260年の太平の世が崩れる動乱の時代だ。

 年号を頼りに、記憶の奥から情報を引っ張り出す。

 歴史は苦手だ。けれど進学校である以上ある程度は覚えている。
 というより、最近の模試で範囲だったからだ。

 正直、自分に起きている事態に理解が追いつかなかった。

 というより、こんなことが起きるなんてありえない。

 もしかしたら、ここは電波すら届かない田舎で、たまたま電線が無かったのかもしれない。
 嘆くのには、まだ早い。

「帰る場所がないって、どういうこと?」
「…いえ、私の勘違い、です」
「そう?まあ送っていくよ。どの辺り?」

 簡単に住所を告げれば、男はこてん、と首をかしげた。

「んー…、聞いたこと無いなあ…」
「新宿ですよ?東京の」
「とうきょう、も、聞いたことないんだけど」
「…あの、ここ、どこですか?その、地名とか」
「それも知らなかったの?」

 男は驚き以上に、呆れたように、言う。
 呆れたいのはこっちだ。

 日本の首都である東京を知らない人間が、果たして日本に存在するのか。