感想ノート
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上杉漱五郎 2009/12/14 22:37
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桃色さん
障害者じゃなくても……という指摘は、随分前にカトウメイさんという方にも頂きましたよ。
なかなかうまく説明は出来ないのですが、多分、健常者でも話は成立するとは思います。
すると、逆になぜ障害者なら違和感を感じるのか?
そこに既になんらかの意識が働いているような気がするのです。
当たり前のように、人はいる。そこで私はごく自然に障害者を連想する。まあ、モデルのような人がいたからなのですが……。
ところで、日本人は確かに自尊心が高いですね。本当に困りモノだと思います。
鎖国をしたのも、民族性なのかもしれませんね。ペンコ 2009/12/13 22:14
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桃色さん
現代モノでも、充分書けると思います。単に、昔の時代設定の方が、余分なものが付きにくい感じです。
難しいと思いますが、私も挑戦していきますよ。
因みに、朗読ということは、声を出すということですね? 良いことですね。ペンコ 2009/12/11 12:25
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書き込みっていうのは、いいですね。
声帯に負担はかからないし、ペンダコが潰れることもない。
そのかわり、失言がなかなか取り消せないので、気を付けねばいけません。
退散ペンコ 2009/12/10 08:26
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最近ニュースを除き、「不毛地帯」と「坂の上の雲」しかテレビをみません。
昔の時代設定のドラマに惹かれるのは、余分なものが一切ないからのような気がします。
現代が舞台の必死なストーリーでも、髪型や服装に目か行くような演出はアウト。役以外の雑音が浮かぶ出演者もご遠慮願いたい。
ストーリーを楽しむ演出に、こだわってほしいところです。
ひとりごとですよ。ペンコ 2009/12/07 07:45
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純文学に「風」やら、「偽」がつくとしたら、おそらく、テーマが自己や性であるもので、文芸作品の文体を模写したものを指すのかな、などと思います。
つまり、表現の創作が抜けている。そこに皮肉をこめて、風だの偽だのと言っているような気がします。
「恋をする」は誰でも言いますが、「恋を味わう」は言いません。そういった新しい表現がなければ、文学の探究になりません。文芸を学問とするのであれば、そこに重点を置いたものが、純文学と言えるかもしれませんね。
長文、お付き合いありがとうございました。ペンコ 2009/12/03 07:46
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沢里さん
あるところには、ありますね。有名どころのサイトを除くと、一気にアンダーグラウンドの臭いがしますが、反骨精神のようなものが出ていて、イイですね。
きわどい話には煙幕でした。どろろん、○んま○ん。ペンコ 2009/12/03 07:35
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純文学風、偽純文学〜についてですが、直接の書き込みを拝見しておりませんので、意図は解りかねますが、純文学については、個人的に以下のように理解しております。間違っていましたらすみません。
まずは、表現の創作です。
自分だけの言葉で綴った表現の探究といいますか、例えば、「肩がこる」。こんな言い方は夏目嗽石が創作しなければ、世の中に存在しませんでした。
こういった新しい表現を目指したもの、文学を探究したものが、純文学の土台だと思います。
新しい表現を作るには、その元になるものを知り尽していなければなりません。
つまり、おのずと自己の表現に陥る事になります。まだまだ気持ちや性を表す言葉は未開拓、ということから、専ら純文学の題材になっているのだと、思っています。
続きます。ペンコ 2009/12/02 12:35
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ケータイ小説とはこういうものだ、のように、ウィキを見れば名のある方が語っておられます。批判も多いです。イチ意見として捉えられない方たちですから、それらを読んだ方には、影響大ですよ。
しかし、事実に反している訳でもないです。
知る人ぞ知る、に満足できるのなら、居心地は悪くはないです。
山羊の件、まあ、感動したと読者がおっしゃるのであれば、そうなんでしょう。しかし、それがいつまでも続く感動であったかどうか、それを知るのも読者の行動次第だと思います。ペンコ 2009/12/02 12:21
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結局のところ、中身だと思いますよ。確かに紙をめくる感覚から、ボタン操作への移行にて脱落する人が出ますが、その後、失望する方の殆んどが、既存の文学に対しての違和感だと思います。
いわゆる、ブログ、メールのような表現手法ですね。
受け入れられる人はいますが、そうでない人が後続に吹聴しているきらいがあります。
私見ですが、画面が文庫サイズでも、中身次第だと思いますよ。ペンコ 2009/11/30 08:26
少しお隣から失礼致します。御無沙汰しております。
ペンギンが飛ぶ夢を見ました。それだけなんですけれど…(印象的な夢だったので言ってみたり)