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一方その頃、江戸城では不穏な動きがあった。


7月。


1人の僧が徳川家康に謁見していた。


「家康様。豊臣が建てた寺のことですが」


「ああ、広寺のことであろう?亡き太閤殿下(豊臣秀吉)が建立なさったとか」


「そのことでございます。その寺の鐘にとんでもないことが刻まれているのです」


「と、言うと?」


すると僧は声を一段と低くして言う。


「国家安康。これは家康様のお名前を裂く、徳川家への呪詛にございます」


すると家康の顔色がサッと変わった。


「何と。羅山よ、それは真か?」


「はっ」


「なるほど。それはわしに対する冒涜に他ならぬ。大仏開眼供養を中止するよう豊臣に言い渡せ」


しかし、豊臣にそのような意図などまったくない。


「ふん」


徳川からの使者の話を聞いた豊臣秀頼の母、淀君は鼻で笑う。


「呆れたものじゃ。勘違いも甚だしい。そんなことで徳川に頭を下げろと?バカバカしい」


「しかし、淀の方様」


「お黙り!私は絶対にあの狸に謝りなどせぬ。何があってもな」


こうして、豊臣と徳川の溝は深くなっていくのであった。