「余計な気遣いは無用」


鳥居元忠は、西軍代表として無血開城をすすめに来た増田長盛にきっぱりそう言った。


「この城は家康殿のご命令なくばいかようにも出来ぬ。殿は城を守れとおっしゃった。お主が何を言われようと私はそれを遵守するのみぞ」


長盛がこのことを報告し、敵方に無血開城の気がないと知ると西軍の総大将、毛利輝元は力ずくで伏見城を攻め落とすことを決めた。


こうして宣戦布告から2日経った慶長5年7月19日の夕方。


西軍は伏見城を包囲し、銃撃による攻防戦が始まった。


しかし、銃撃戦では死傷が少なくなかなか決着が着かない。


この銃撃戦は29日まで延々と続いたという。