男を見たのは、それが最後だった。
私自身も余裕がなかったため男が病室を出たことには気付かなかったが、母が病室で眠るように息を引き取った時には、既に跡形もなく消えていた。
またどうせ、居間で飲んだくれているに違いない。
そう踏んだ私は、母を看取った後一旦家に引き返し、殴られるのを覚悟で男を探し回ったが、結局男は家にもどこにも見当たらなかった。
そしてそのまま葬儀にも顔を出すことなく、男は行方を眩ませた。
最後の最後まで人でなしだった男を心の底から恨み、悲しみを怒りに擦り替えることで、葬儀の最中も火葬場で遺骨を拾う際もみっともなくぼろぼろ泣いて周囲の視線を集めずに済んだのはよかったが、私のそれまでの人生で男が役に立ったのはまさにその時だけだった。

父も母も身寄りがなかったのだと知ったのは、葬儀が終わり、誰が私を引き取るか、という話になってからだった。
唯一母の遠縁に当たるのだという強面のおじさんが居て一一母が亡くなった日に初めて会った一一、彼が式の段取りなど一通りのことをしてくれたが、考えてみれば、私にはおじいちゃんもおばあちゃんも、親戚と呼べる人間も誰も居なかった。
どうしてこれまで疑問に思わなかったのかが疑問だが、でも居ないものは仕方がないし、顔も知らないような親戚に引き取られて肩身の狭い思いをしながら過ごすよりは、誰も私のことや男のことを知らない街の孤児院にでも行った方がましだと思い、自ら孤児院に引き取られることを希望した。
その孤児院も高校を卒業すると同時に出て、今は自分で部屋を借りて暮らしている。
今年でもう二年になる。

家にはあれきり戻っていない。
あの男のことに関しては、生きているのか死んでいるのかすら分からないし、もう知ろうとも思わない。
野望もいつしか頭から消えた。
けれど私には、決して消えない傷がある。
打撲傷や煙草を押し付けられた跡などといった、実際身体に与えられた傷のことではなく、精神面においての傷だ。
酒、煙草、ギャンブル。
そして、男の人。
あの男を連想させるそれらを私は未だに嫌悪していて、そしてどこかで恐れている。
おそらく私は、これからもその傷を抱えて独りで生きていくのだろう。
この先も、ずっと――。