だが、別れは意外に呆気なくやってきた。
初めて暴力を受けた翌年、母が病で他界した。
病が発覚した時には既にもう手の施しようのない状態で、それから半年ほど闘病したが、結局帰らぬ人となった。
男から逃れる場所を得たとばかりに病室に入り浸るようになった私とは対照的に、男は見舞いにも来ず相変わらずの生活を送っていたが、ある日の深夜、病院から母の容態が急変したとの知らせが入ると目に見えて慌てだし、いつもにも増して感情的な声でタクシーを呼びつけた。
一一お前も来い。
乱暴に受話器を置くと、男は私に向かってそう言った。
一一…うん。
一瞬の間を置いて、私は頷いた。
それは、数年ぶりとなる会話だった。
病院に着き、病室までやってくると、男は先に病室に入ろうとした私を突き飛ばし、お静かに願います、と咎める看護士の言葉も耳に入らない様子でばたばたとベッドに駆け寄った。
どこもかしこも真っ白な生気のない空間で、母は幾本ものチューブに繋がれやっとの思いで生きていた。
…否、生かされていた。
ぼやける視界に、男が崩れ落ちるのが見えた。
膝をつき、母の名を殆ど泣き叫ぶような声で呼ぶ、かつて父と呼んだ男。
思えば、男が母の名を呼ぶところを聞いたのは、その時が最初で最後だった。
どうにか立ち上がったはいいが、病室の入口に立ち尽くしたまま動けなくなっていた私に向けられた大きかったはずの背中は、惨めなほど小さくなって震えていた。
程なくして聞こえてきたのは、低く啜り泣く声だった。
それを耳が拾い上げた瞬間、狂おしいほどの怒りが胸に込み上げた。
そんな声で呼ぶんなら、涙が出るほど悲しいと思うなら、どうして暴力なんて振るったの?!
どうしてもっと大事にしなかったの?!
大きすぎる感情が胸がつかえて言葉にならず、私も男と共に泣いた。
視界の隅で、複雑な顔をして突っ立っている医者と看護士の姿が見えた。
第三者の目から見たら、今この時だけは私たちも普通の家族に見えるんだろうか。
そう思うと吐き気が込み上げた。
初めて暴力を受けた翌年、母が病で他界した。
病が発覚した時には既にもう手の施しようのない状態で、それから半年ほど闘病したが、結局帰らぬ人となった。
男から逃れる場所を得たとばかりに病室に入り浸るようになった私とは対照的に、男は見舞いにも来ず相変わらずの生活を送っていたが、ある日の深夜、病院から母の容態が急変したとの知らせが入ると目に見えて慌てだし、いつもにも増して感情的な声でタクシーを呼びつけた。
一一お前も来い。
乱暴に受話器を置くと、男は私に向かってそう言った。
一一…うん。
一瞬の間を置いて、私は頷いた。
それは、数年ぶりとなる会話だった。
病院に着き、病室までやってくると、男は先に病室に入ろうとした私を突き飛ばし、お静かに願います、と咎める看護士の言葉も耳に入らない様子でばたばたとベッドに駆け寄った。
どこもかしこも真っ白な生気のない空間で、母は幾本ものチューブに繋がれやっとの思いで生きていた。
…否、生かされていた。
ぼやける視界に、男が崩れ落ちるのが見えた。
膝をつき、母の名を殆ど泣き叫ぶような声で呼ぶ、かつて父と呼んだ男。
思えば、男が母の名を呼ぶところを聞いたのは、その時が最初で最後だった。
どうにか立ち上がったはいいが、病室の入口に立ち尽くしたまま動けなくなっていた私に向けられた大きかったはずの背中は、惨めなほど小さくなって震えていた。
程なくして聞こえてきたのは、低く啜り泣く声だった。
それを耳が拾い上げた瞬間、狂おしいほどの怒りが胸に込み上げた。
そんな声で呼ぶんなら、涙が出るほど悲しいと思うなら、どうして暴力なんて振るったの?!
どうしてもっと大事にしなかったの?!
大きすぎる感情が胸がつかえて言葉にならず、私も男と共に泣いた。
視界の隅で、複雑な顔をして突っ立っている医者と看護士の姿が見えた。
第三者の目から見たら、今この時だけは私たちも普通の家族に見えるんだろうか。
そう思うと吐き気が込み上げた。
