「わ、私のことを覚えていないんですか?」


明らかに震えている私の声。


「すみません」


先生はそう言って目を伏せる。


「では、わたしは?」


母が問いかける。


「いえ、わかりません…」


それは実に弱々しい答えだった。


まさか。


私の中に、ある1つの単語がふっと浮かんだ。


―“記憶喪失”


「とりあえず…せ、医師を呼んできます」


いたたまれない気持ちになった私はそう言って病室を出た。


先生は忘れてしまったんだ。


母のことも私のことも。


そして、今まで紡いできた6年間の思い出も全部。


私は先ほどにもまして自分の運命を呪った。


自分の手を見る。


変わったところは特にない。


しかし、きっとここにはない。


幸せなんてこの手の中にはなくなってしまったんだ。


「流星」


母がやって来た。


その表情は、風に吹かれて揺れる水面を思い起こさせる。


母もどうやら動揺している様子で、まだ現実を受け入れられないようだった。


「母さん。私、幸せじゃなくなっちゃった」


「…」


「先生が私を忘れちゃった。だからもう愛してもくれない」


「…」


「せっかく先生と幸せになれると思ったのに私…」


「いい加減にしなさい!」


母の怒鳴る声が静まりかえった廊下に響き渡った。