「先生、あの」


「ん?」


ある平日の夕食前、私は前から思っていたことを切り出した。


「私達、夫婦なんですよね?」


「ああ、それがどうした?」


先生は表情をまったく変えない。


どこまでクールなんだ。


「名前で呼んでくれませんか?」


そう。


記憶を取り戻してから先生は私を名前で呼んでくれないのだ。


「え…」


先生の顔がみるみる赤に変わっていく。


「記憶を失っていた時はあんなに何回も呼んでくれたのに」


「いや、なんか改まると照れるんだよな」


「ケチー」


「そういう問題じゃないだろ。照れるか照れないかの問題だ」


「もう、つれない人ですね」


「そういう話じゃないだろ。日本語の使い方、おかしいぞ。お前、本当に国文学科を卒業(で)たのか?」


「えー」


「っていうかさ、そう言うお前も名前で呼ばないで先生って呼んでいるよな。別にもう教えているわけでもないのに」


「ギクッ」


そういえば先生を下の名前で呼んだのはたった1回。


記憶を失った先生の寝顔を見ながらぽつりと呟いただけだ。


「せ、先生から呼んでくれたら私も呼びます」


先生のことを言えないけど、私だって恥ずかしい。


「なんて卑怯な」


「卑怯って」


まったく、どうして名前を呼ぶだけでこんなに言い合わなくてはならないんだか。