そうして母との先生をめぐるいざこざが一応なくなったのはいいんだけど…。


私はベッドの上で『構造改革特別区域のはなし』という、いかにも難しそうなタイトルの本を読んでいる先生をちらっと見た。


そう、先生は母をどう思っているのか。


「あ、流星さん」


彼は私に気付くと、ニコッと笑いかけてくれた。


「どうも。調子はどうです?」


傷はほとんど治り、体調も悪い様子ではないので野暮な質問だと思いつつ、聞いてしまった。


「おかげさまで」


「それは良かったです」


「ところで今日、睡蓮さんは?」


「あー、今日も仕事ですよ」


屋上での一件以来、母はパートを今まで週に3回だったところを、6回に増やした。


仕事を口実にして、先生に会う機会を減らすつもりだろう。


しかも母の住んでいる私の実家からここに来るには、電車に数時間揺られて来なくてはならないからなおさらだ。


「皐示さんへの想いはただ胸に秘めておくわ」


「そっか。無理して忘れようとしたらつらいもんね」


その苦しみは私だって知っている。


「そして時間に任せるの。会う機会を減らして、出来るだけいつものように生活していれば、いつか何のわだかまりもなく笑って話せる日が来ると思うから」


そんな母との会話を何となく思い出していた。


「そうですか」


先生は淡々とした返事をしただけだった。


「あの…先生」


「はい?」


ちょっと首をかしげながらも微笑んでくれる。


純粋な少年みたいだと思いながら、私は話を切り出した。


「傷、治って退院したら先生と行きたいところがあるんですけど」


記憶を取り戻すために私が出来るのはこんなことしか思いつかない。


「いいですけど、どこです?」


「内緒です」


私は人差し指を口に当てて見せる。


先生はまったく見当がつかないのか、しきりに首をひねるだけだった。