愛、桜

「こんな風になってるなんて・・・」
「ここに来るまでは何でいらっしゃいましたか?」
「タクシーです。予約した時間に間に合わないかなと思って」
「それでは気づかないでしょうね。この辺りは緩やかな坂になっているんです。歩くと少しきついかなと思う場所もあったりするんですが、タクシーなどでは平地を走っているのと、なんら変わらない。だから、今のお客様のように驚かれるんですね」
「そうだったんだ。なんか得した気分になりますね」
「それは良かった」
店員は笑って言うと、戻っていった。
それに釣られたかのように、亜紀も笑った。
「どうかした?」
「何が?」
「何がって、笑ってるから」
「嘘、私、笑ってた?」
本当に気づいていなかったのだろう。亜紀の慌てた様子が、それを物語っていた。
「うん、さっきの店員さんみたいに満面の笑みだった。それを見たら、どうかしたって思うよ」
「ご、ごめん。全然気づかなかった」
「謝る必要なんてないさ。それよりなんで笑ってたのか、教えてよ」
哲も亜紀に負けじと目を細め笑った。
「うーん、自分でも気がついてなかったからなぁ。でも、しいて言えばうれしかったって事かな」
「って言うと?」
「全部。今日、ここに連れてきてくれた事。こんな季節に満開の桜が見れた事。思ってもみなかった夜景が見れた事・・・。とにかく全部」
「ははは・・・。亜紀、それは欲張り過ぎでしょ」
「でも、本当にうれしかったんだもん。しょうがないでしょ」
「でも、そこまで言われるとうれしいね」
テーブルの上に亜紀の手は置かれていた。その手を無意識に、そうである事がさも当然のように、そっと自分の方に寄せ、哲は握りしめた。