伊夜彦とハバキのあいだに割って入った姫夜のからだは、白く輝くハバキの剣に貫かれていた。
「ハ……バキ……」
 驚きにゆがんでいるハバキの顔が目の前にあった。
「なぜだ」
「ケガレに触れては――いけ、ない――」
 崩れ落ちた姫夜のからだを伊夜彦が抱きかかえた。
「さあ、云うのだ。八十禍津日と呼ばれた姫神、瀬織津姫を呼び出す祝詞を」
 伊夜彦がかがみこんで耳元でささやいた。姫夜は急速に乳白色の霧におおわれてゆく意識のなかで、その言霊を息吹にのせた。
「上津瀬ハ瀬速シ。下津瀬ハ瀬弱シ」
 剣がささったままの姫夜のからだから、音を立てて水が溢れ出した。
それはみるみる嵩を増して、濁流となり、さかまく大きな川となった。
姫夜は水の中で必死に目を見開いて、ハバキの姿をさがそうとした。
 激しい流れのむこうにハバキが立ちはだかり、必死に叫んでいるのが見えた。
 ハバキは無事だ。
姫夜は微笑し、恍惚と目を閉じて、冷たい流れに身をゆだねようとした。
力強くやさしい手がおのれを抱きかかえているのを姫夜は感じた。
甘い懐かしい、匂いがする。
(兄さま)
 せせらぎの音に心まで洗われ、やわらかな母の胸に抱かれたように体が軽くなった。
 このまま黄泉へゆくのか。おのれが空気のように透明になってゆく。
果てしない心地よさの中でそう思ったとき、伊夜彦の声がした。
(使い魔たちを現世(うつしよ)に残してきてしまった。そなたにまかせるよ)
 やさしい兄の手が姫夜の額の髪をそっとかきあげた。
 姫夜は最後にありったけの力を振り絞って、おのれの手首から生玉をはずし、兄の手にかけた。
 全身から力が抜けて、体が泡のように透き通ってゆく。
(ハバキ……すまぬ。帰ると誓ったのに、わたしは……)
(姫夜――ッ!)
 ハバキの声がした。
 やさしいなよやかな腕が姫夜の体を流れからすくいあげ、岸辺におしあげた。
 次の瞬間、姫夜はハバキの逞しい腕に抱き取られていた。
大きな川の流れのむこうで、ヤギラが年老いた夫婦にむかって走りより、抱きついてゆくのが見えた。
川はどんどん大きくなり、それも見えなくなった。
 姫夜とハバキとがいる岸辺は、しだいに夜明けのような眩しい白い光に包まれていった。