それからは、榊は会社で寝泊まりするようになった。
着替えは、麻子に会わない時間帯を狙って取りに戻るようにし、それ以外は『スミダハイツ』には絶対に近付かないようにした。
「何だ、榊。またお前、会社のソファで寝てんのか」
さすがにもう一週間だ。
最初は色々と理由を並べ立てていたが、社長に問われ、榊はいよいよ返す言葉が見つからなくなった。
「どうしたんだ? 嫁さんと喧嘩でもしたのか?」
「いや、俺いつ結婚してましたっけ?」
「あれ? してなかったか?」
「したことないですけど」
「そうか。お前いつも、時間を見つけては家に帰りたがるから、俺はてっきり、榊は実は密かに結婚してて、子供の世話に追われつつ仕事をしてるんだとばかり思っていたが」
何なんだ、そのイメージは。
榊は思わず苦笑いし、
「残念ながら、嫁も子供いませんよ。それどころか、今はカノジョと別れの危機です」
「じゃあ、お前、こんなところでダラダラしてる場合じゃないだろ」
「それはまぁ、そうなんですけどね」
榊は曖昧に濁すことしかできない。
あれ以来、榊は一度も麻子に連絡していないし、麻子からの連絡もない。
だからもう、終わったと考えるべきなのかもしれない。
社長は榊の向かいのソファに腰掛けた。
「まぁ、何があったのかは知らないし、他人のそういうのに口を出すつもりもないが」
そこで言葉を切った社長は、「でもな」と、榊を見やり、
「でも、捨ててしまいたいものならさっさと切り捨てるべきだが、そうじゃないなら、死んでも掴んで離すなよ。あとで後悔しか残らないぞ」
「………」
「嫁に愛想尽かされて出て行かれた俺が言うんだから、間違いない」


