だが、榊の焦りとは裏腹に、麻子はなかなかアパートに戻ってこなかった。
普段から、隣に住んでいるため、ほとんど連絡を取り合うようなこともしたことがない。
それなのに、今日に限って「いつ帰ってくる?」なんて、わざわざ電話して聞くのもおかしいし。
悶々としているうちに、夜11時を過ぎた。
おいおい、これってかなりやばくないか?
悪い方の想像がピークに達しかけた時、外から車が止まる音が聞こえ、榊はカーテンの隙間をそっと覗いた。
タクシーを降りてくる男女――夕方見掛けた男に送ってもらったらしい麻子の姿があった。
「ありがとうございました」
麻子は男に向かって頭を下げる。
夜は静かな上に、アパートの壁が薄すぎる所為で、外の会話はよく響く。
「あの、麻子さん」
アパートの方へと向かおうとする麻子を引き留めた男は、
「さっき言ったことですけど。僕の気持ちは真剣なものです。お返事はいつでもいいので、きちんと考えていただきたい」
「わかりました」
もう一度頭を下げ、麻子は今度こそアパートへと向かった。
男はしばらく麻子を見送った後、再びタクシーに乗り込み、夜の闇の中へ消えた。
何なんだ、一体。
困惑と憤りで爆発してしまいそうだったが、階段を上ってくるヒールの足音に、榊ははっと我に返った。
もう真実を確かめなきゃ気が済まない。
榊が玄関から出ると、ちょうど麻子は202号室の前で鍵を探すためにバッグを漁っていたところだった。
「おかえり」
「うん」
「遅かったな。なぁ、俺の部屋に来いよ。酒でも飲んで」
「ごめん。もう飲んで来たから。それに、今日は疲れたから早く眠りたいし」


