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 IT企業の社長が六本木の自宅マンションで死亡したとのニュースは、スキャンダル好きのマスコミが飛びつきそうなネタではあったが、何故か殆ど取り上げる事はなく警察が発表した内容を簡素に伝えるだけであった。

「昨夜遅く、インターネットバンク社長の小林芳氏が自宅で倒れているのを家政婦が発見し、救急車で病院に搬送されるも死亡が確認されました。死因は脳梗塞との事です。」

 真実は違う。
警察もマスコミ各社も情報を共有しながらも報道協定を結び、警察の描いたシナリオ通りの発表に留めたのだった。理由はただ一つ……小林芳と共に倒れていたミイラ化した状態で見つかった死体が検視の結果、人ではない事が確認された為であった。

「人在らざる者の仕業か……」

この手の事件は一切国民に知らされる事はない。万が一情報が流布する事態に陥ったとしても、結果として曖昧模糊なネタとして都市伝説化するのが関の山である。この国の国民には国家権力により知る必要がないと判断された事実に対して知る権利を主張する自由は与えられていなかった。
人在らざる者はあくまでも人在らざる者として闇から闇へと葬り去られる。戦後国民に植え付けられた死生観は心の奥底に流れる死生観とは相入れないものであった。

常世≠天国

この相入れない精神世界を絶妙なバランスで国民一人一人保たせているもの……乱立する宗教と行きすぎた個人主義による市場経済、そして人柱としての皇帝の存在であった。