ばちん、ばちんと、硬そうな爪を切る音がする。

それは、今までに一度も聞いた事がなかった音。

しんと静まり返る時間なんて、お母さんがいた頃の私の家には、

ほとんどなかったから。

もしかしたら、お母さんはこの家も一緒に、天国へ持って行ってしまったのかも

知れない。

今ではもう、なんの音もしない時間の方が圧倒的に多いこの家は、

まるでお化け屋敷みたいだもの。

「…会社はいつから行くんだ?」

背中を丸めて爪を切り続けながら、お父さんは言った。

「ん、もうすぐ」

会社、というより。

現実、に、早く戻らなくては行けない。

誰が死んでしまったって、流れる時間は変わらないのだから。

たった今生きている、すべての人間にとっては。

「じゃあ、私もう寝るね」

「ん」

「お父さん、朝ちゃんと目覚ましで起きれる?」

「起きるよ。おやすみ」

「おやすみなさい」

本当は毎日、この階段を上り下りする事が辛くて、

自分の部屋に帰りたくないのだけれど。

ため息をつきながら、暗い部屋の中に入ると、携帯の光が点滅していた。

苺からのメールと、一哉からの着信だった。