キウイの朝オレンジの夜



 それからは、地域の飛び込みの最後には必ず寄ることにしたのだ。

 山下さんは夏には冷たいお茶、冬には温かいお茶をご馳走してくれて、色んな話を聞かせてくれたし、あたしの話も聞いてくれた。

 心を和ませて、仕事に戻れた。大切な場所だった。現実が辛くて厳しくて辞めたいんです、とつい零した日には、また縁側で微笑みながら、あたしに言葉をくれた。

 あんたの仕事は誰かを助ける仕事だ。しかも、困った時じゃないとそれを判って貰えない。嫌われて何ぼという、損な仕事だな。だけど大切な、大事なことをしているんだよ。辞めるのはいつでも出来るから、もうちょっとやてみなさい、って。

 その時は我慢出来ずに泣いてしまっておじいちゃんを困らせたんだった。

 だけどあたしは確かに救われた。それからは、お客さんに酷い言葉をインターフォン越しに投げつけられても傷付いて泣いたりはしなくなったのだ。

 大丈夫、あたしの仕事は誰かの役にたっているんだ、って。

 そう思ってくれてる人も、確かにいるんだから、って。


 支部の2階でご遺族の娘さんと話し、書類を家に届けると約束した。

 契約者が亡くなって、すぐに連絡をくれることは珍しい。誰かが亡くなると大変忙しくなるので、一連のことが全て終わって、1週間くらい経ってから漸く連絡が入ることが普通だ。