ないだろ、それ。ないないない。両手をぶんぶん振り回したい気分だ。
稲葉さんはひょいと振り返って、あたしを引き寄せる。
フレンチキスをゆっくりとして、心の中で絶叫状態のあたしににこやかに微笑んだ。
「―――――――とにかく、これでお前は俺のものだ」
ビックリな宣言を軽く言い放ち、手を伸ばしてあたしの頭を撫でた。
「今晩はとにかく戻る。強烈に後ろ髪引かれてるけど、社会人だし仕方ない。でも言葉くらいは俺だって欲しいんだ。言ってくれ、ちゃんと」
「・・・はい?」
あたしは忙しなく瞬きをする。
「はい?でなくて。――――――判らないふりするなよ、帰社したらノルマ加算するぞ」
「・・・どんな脅しですか、それ。言いません」
あたしは唇を尖らせて抵抗する。
稲葉さんはぐっと目を細めた。その顔をすると、普段甘え顔の彼はいきなり迫力が増す。整っている顔っていうのは、簡単に人形みたいで恐ろしい無表情にもなれる。
この顔で朝礼をすると、さすがに全営業職員が緊張して固まるのだ。
ただし、今、その脅威にさらされているのは、あたし一人。



