「……、」
「なに?」

玄関で靴を履きながら、彼が何かを呟いた。
聞き返せば、彼は、しばらく考えるように押し黙った後、静かに微笑んだ。
いつもと変わらぬ気だるそうな微笑み。その中に、寂しさを色なしているのはなぜだろう。


「ありがとう。」
「なにが。」


少しつっけんどんになってしまったのは、恐れていたからだ。
彼の唇が次につむぐ言葉を。

けれども、彼は、私が恐れていた言葉を告げることなく立ち上がった。
拍子抜けした私の横、えもんかけの上着を取る。


「じゃあ、もう行くよ。」


彼はかみ締めるように告げた。
私は、ただ頷くだけしかできなかった。
さよなら、とは言わない。
――言えない。

でも、きっとこれが最後だ。


「行ってらっしゃい。」


笑顔を作るのがこんなに難しいとは思わなかった。
彼は、名残惜しむように立ち尽くした後、静かに言葉を紡いだ。

言葉を耳に焼き付けると同時に彼は背中を向けた。



 わがままをもっと言えば良かったのか。
引き止めて、泣きすがれば良かったのか。
がらんとした部屋の中で、私は目を瞑った。
彼の言葉が、耳の奥をこだまして離れない。
私の想いは中途半端に未練を残したまま、もう伝えることすら叶わない。


『ユウキ、君を本当に愛していたよ。』



きっと、私――桂木ユウキの声が彼に届くことは、もうないのだから。