魔王に甘いくちづけを【完】

ハッと顔を上げて魔の王を見たティアラの表情が、すぅ・・と潮が引くように、なくなった。

目も唇も力が無くなり虚ろに見える。

今までに見てきた表情豊かな生き生きとした、美しいティアラの顔ではない。



「どうなのだ、ティアラ姫。・・・私と、共に来る気はあるか」


「私は嫌です。魔の元に行くことは出来ません」



抑揚のない棒のようなもの言い。

その言葉を聞いて目を伏せた魔の王の唇が何事かを呟くように僅かに動き、笑ったように見えた。


虚ろなティアラの瞳から一筋の涙が頬を伝って落ちていく。

唇は何かを言いたげに震えるも、体も微動だにせず何も言葉が出て来ない。



「決まったな。この話は、無だ。行くぞ」


独り言のような魔の王の声に反応して、ぴくんと耳を動かした狼は、ちら・・と片目を開けてティアラの様子を見た。


見開いたままの目は真っ赤に充血し、涙はとめどなく溢れ零れている。

人の王が慰めるようにか細い手を握ったり流れる涙を布で拭ったりしていた。

それを横に、大臣たちは魔に差し出すものを決めようと、議論を始めている。




人と魔、同じ部屋の中にいるというのに、全く別の空間にいるようだ。

そのくらいの温度差が感じられた。




「いいのかい。アンタはそれで」



狼の口から、燻銀のような深い声が出される。


「いい。この件で話をすることは無い。もう、ここに来ることもないだろう」


・・・厄介事を請け負わずに済む、そう呟いて椅子から立ち上がろうとするも、狼の体が邪魔している様子でまったく動かない。


「おい、ダレるな。退け。さっさと行くぞ」



いらいらと向ける言葉もどこ吹く風、我が道を行く風体の狼は大きな欠伸をしている。



「俺は退かねぇよ。アンタのお陰で、ねみぃんだよ・・・行きたきゃ、アンタお得意の指パッチンで抜けたらどうだい」


俺は寝るぜ。

しっぽフリフリ耳をピクピク。

何故だかとてもご機嫌な様子で、自らの腕に顔を埋める狼。

寝息まで聞こえてきた。



「ふむ・・独りで、帰れると言うんだな」



―――ぱちん―――


魔の王の姿が消えると、ティアラの体の硬さが取れて表情が戻った。

瞳に力が戻り、零れ落ちる涙をぬぐおうともせず部屋の中を見廻し立ち上がる。


制する父王を押し退け、ドアに駆け寄り開け放ち、廊下に出て宙に向かって宛てもなく狂ったように呼び掛ける。



「王様!?どちらに行かれたのですか!?今のは私の本意ではありません!!王様、お戻りを!」


城の中にはいないと悟ったのか、廊下を駆け抜け階段を駆け降り衛兵の制止を振りきり、城の外に飛び出して、ティアラは夜空を見上げた。



「王様!!―――お願い致します・・お戻りを・・・お願い・・・――――――」



王様・・・

もう二度と、会えないのですか・・・。