魔王に甘いくちづけを【完】

急な出来事に声も出せずに倒れ行く体の制御を試みてると、咄嗟に出されたジークの腕に支えられて何とか転ぶことは免れた。

お互いに顔を見合わせてほっとしたのも束の間に、再度大きく揺れて今度はジークも一緒に前に転がる。

前にすーっと滑り行く体に堅そうな椅子の脚がずんずん迫る。


―――もう駄目だわ、ぶつかる!―――


体に力を入れて目をギュッと瞑った瞬間ジークの太い腕が絡みつき引張られ、頭が何かに覆われた。

体勢が悪いながらも頭を腕の中に入れてくれたことに気付く。

そのお陰で頭を打つことは無かったけれど、ジークの方は椅子の脚で背中をしこたま打って痛みに顔を顰めていた。



「イテテ・・・おい、大丈夫か?」

「えぇ、ありがとう。お陰で私は大丈夫よ。ジークこそ平気なの?」

「ぅうっ・・なんとか、な。しかし全く・・・。新米馭者は乱暴だな・・一体何があったんだ」



馬車はいつの間にか止まっている。

うぅーと唸り声を上げながら、動かしづらい体を叱咤して起き上がったジークが何度も名を呼ぶも、アリの声は聞こえて来ない。



・・・まさか、今の衝撃で馭者台から投げ出されてしまったのかも・・・。


頭から血を流して倒れてる様を想像してしまい、血の気が引く。

声には出さないけれど、考えたことはジークも同じなよう。

二人で顔を見合わせて頷き合い急ぎ外に出てみると、予想に反し、アリは馬車の前にしっかりと立っていた。



・・・良かった・・・


肩の力が抜けて声をかけようとした口をすぐに閉じた。

無言のままじっと佇むその只ならぬ雰囲気に気付いたからだ。

アリは近付く私たちに気付いてるはずなのに、微動だにせず前方を睨んでいる。

その方向は馬車と馬で死角になっていて何があるのかこちらからはまだ見えない。



「ジーク、アリの様子がおかしいわ・・・」

「そうだな。どうやら、新たなお客さんのようだぞ」

「お客さん・・・?」



ダークブラウンの視線の行方を見て、ハッと息を飲む。

あそこにいるあの方は、まぎれもなく―――



「お久しぶりです。ヘカテの夜以来ですね。貴女様には変わらずにお過ごしのよう。我が君の為、何より喜ばしいことです」



さらりと金髪を揺らし物腰柔らかに丁寧に腰を折る様は、以前会った時と同様に穏やかで、敵意など欠片もなく見える。



「さて、漸く私にも機会が巡ってきました。辛抱強く待ったかいがあるというものです。幸運なことに、邪魔な白き閃光は鷹と闘い戦線離脱中。厄介な狼の王子様は賊を相手に戦闘中だ。彼らは一筋縄ではいかない連中です。いくら狼の王子の隊といえど苦戦するでしょう」