魔王に甘いくちづけを【完】

「マーズ殿!?」


「は・・はいっ。申し訳ありません、アリ様、送迎用のが御座いますっ。どうぞ御使い下さいませ」



状況がつかめずに戸惑いながらも返事をしたマーズが急ぎ歩いて先導する。

細い廊下を走るように進めば、前方に白いドアが見えてきた。



「馬車はこのドアの向こうに御座います。今の時間は動いていないはずですが―――」



緊張ぎみにノブに手をかけるマーズを「ちょっと待ってくれ」と制したジークが、ドアに凭れて外の様子を探るように大きな耳を動かした。

見上げれば、アリの耳もピクピクと動いている。



「よし、誰も居ないようだ。先ず俺が先に出る。ちょっと待ってろ」



ジークの手によって慎重にゆっくり開けられたドアの向こうに、きらびやかにも金文字で『宝石のラムシジュール』と店の名前が大きく書かれた黒い馬車が置かれている。

馭者台には、暇そうにのんびりと欠伸をしている初老の男性が座っていた。

当然ながら、この建物の裏側で何が起こっているのかまるで知らないよう。

普段通りの平和そのものにみえる。

裏手の物音が聞こえないのは、私だけじゃないのね。


買い物に来たカップルや身なりのいいお方が数人見えるけれど、あやしい影はどこにもない。


けれど、さっきまでよりアリの腕に力がこもってて、警戒してるのが伝わってくる。


「ジーク殿、彼らに帰るようすすめて下さい」



余りの雰囲気の差に混乱してくるけれど、真剣な表情を見ればやっぱり緊急事態なんだと気を引き締めた。

私には分からないけど、二人の耳には裏手の状況が仔細に届いているのかもしれない。



「馭者は私が勤めます。彼には退いて貰いましょう・・・さ、今の内です」



マーズの要領を得ない話に、馭者が訝しげな顔をしながら降りてるところを横目で見つつ馬車の中に運び込まれる。



「随分と不安そうな表情で、何をお考えか分かりませんが。宝石を狙って来た賊を制裁しているだけのことです。貴女様は心配なさらぬようにと、王子様より伝言をいただいています」



まるで大したことがないように言うけれど、それだけのことで貴方達はこんなに警戒するの?

そんなのおかしいわ。

椅子に下ろされて目の前を通過する腕を見れば、二の腕の部分がぱっくりと切れて血が出てるのが見えてハッとした。