魔王に甘いくちづけを【完】

隅々まで工夫が凝らされてる立派な馬車。

これを作った人は、バルのことを大切に思ってることがよく伝わってくる。


いろいろ説明してくれるけれど、どれも使用感がなくてまだ新品同様に見える。


「俺は、この馬車で出掛けることはほとんどないんだ。実はこれで3回目だ。一度目は他国の戴冠式に招かれた折。二度目はお前を城に運ぶ時。そして、今、だ」


ほとんどの旅は隠密なのに、この馬車では無駄に大きくて目立つだろう?と言って笑う。

バルの中で怒りが溶けて漸く気持が解れて来たみたい。

瞳が穏やかになって、普段通りの状態に戻りつつある。



「えぇ、そうよね。でも、唯一無二のとても素敵な馬車だと思うわ。もっと使用したほうがいいわよ」


「そうだな・・・こんなの他にはないだろう。これは、年頃になってより王妃から賜った馬車なんだ」


“貴方ね。

そんなに出掛けるのがお好きなら、これを差し上げます。

存分にお使いなさいな。

私も、少しは安心出来るというものです”


「と。心遣いは嬉しかったが、どうにも的外れだろう?俺には無用のものだと常々思っていたんだが。――――今日で考えが改まったな。妃と一緒に出掛けるには、大変便利でいいものだ。改めて王妃に礼を言おうと思う」



怒りが溶けた分他の感情が露になってきてるようで、瞳が金色に変わりつつあるのが見てとれる。

二人きりの密室。

今の状態では、もしも唇が迫ってきたとしても、逃げることはままならない。

話しかけて気を逸らさないと・・・。



「あの、今日は、どこに連れて行ってもらえるのかしら?急に決まったのでしょう。出先の場はさぞかし慌ててるでしょうね?まだ結構降ってるけれど、この雨は、本当に止むのかしら?」



取りあえず矢継ぎ早に質問をしておいて、熱い気を纏い始めたバルから窓の外に視線を移せば、雨は降りつづけてるものの遠くの空が明るくなってきていた。

バルの言ってた通りに、あと少しで止みそうな気もする。


雨合羽を着たアリの姿が窓のはしっこに見え隠れする。

いつもの無表情な横顔。

濡れた前髪が額に張り付いてて、それが妙に色っぽく感じる。

道行く若い女性がその姿を見上げて、嬉しそうに頬を染めてる様子が見えた。



「アリは、女性に人気があるのね」


ぼそりとそう呟くと「む、やはり、俺には越えねばならん事がたくさんあるようだな」と聞こえたので振り返れば、声の主は腕を組んで難しい顔をしていた。



「心配するな。雨は着く頃には止んでいるだろう。今から行くのは、ラッツィオが誇る産業の中心地だ。楽しみにしてろ」