魔王に甘いくちづけを【完】

「人の王と魔の王の間で交わされた一つの約束事がある」


そう切り出してバルが語り始めたのは、遠い遠い昔のことだった――――・・・




“人の子に黒髪黒目生ずれば全力を持って守護すべし”



「これは、占師サナの長の家に伝わる書にあった言葉だ。

似た言葉が書かれた伝記が城の書物庫にもある。

これは、まだラッツィオが独立するずっと以前の話。

人と魔の国の境目が薄く、混沌としていた頃のことだ―――



世界は二つの国に分かれていた。

人の国と魔の国。

その頃狼族は人と仲が良く、身近に暮らし生きてきた。

言うなれば、人と魔の丁度境目にいたらしい。

人の王が住む城にも出入りし、魔の侵略から守るよう警備を請け負うこともあった。

魔の世界は、今も昔も変わらずに吸血族の王はいたが力弱く統一出来ず、それにより皆の秩序も低い。

人と違い、それぞれの種族が好き勝手に生きる性質を持ってるからな、仕方のないことなんだが。

それらを支配するには強大な力がいるんだ。

時の魔王には全てを征服できる力がまだ無かった。



“無暗に人を襲うことならず”



人の王と協定を結び、そう規則を作り告示してあっても守る者など皆無に等しい。

多くの者は夜な夜な国の境界線を破り人を襲っていた。

肉食の者は若く瑞々しい体を貪り、そうでない者は自らの性欲を満たしていた。


我々魔者にとって人の動きは鈍く力弱く、簡単に思い通りになる。

若い娘にとってはさぞかし夜が恐怖だっただろう。

それは守ろうとする男たちにとっても・・・な。

魔除けも造られ人なりに懸命に防御はしていた。



だが、特に吸血族からしてみれば、人の血を啜れば自身の力が漲り生命力が増すということがある・・・だんだんに長寿になり力は増幅するわけだ。

野心を持つ者が人を襲わない手はないだろう。

いつか御代を奪い国を手中に治めたいと、そう考えない者はいない。



狼族はそんな魔者たちから守っていたんだ。

だから、この国の者は皆お前を食おうなどとは思わない。

却って守ろうとするわけだ」




・・・優しく穏やかな狼の人達。

バルの妃候補だからとはいえ、こんな私を守ってくれるなんて・・と常々不思議に思っていたけれど、そんな出来事が根底にあるからなのね・・・。

先祖から受け継がれた、記憶。




「・・・だが、俺たち狼族でも、男はこの香りに魅惑的なものを感じる。それを忘れないでいて欲しい。別の意味で危険だと。すまんな・・・ヘカテの夜に、アリに襲われそうになったと聞いた。鉄の心だからと信用して任せていたんだがな、すまなかった。よく考えれば当然だが、奴も普通の男だった訳だ。――――――っと、話がまた逸れたな。―――すまん・・・」



困ったように頭をボリボリと掻く。

さっきから謝ってばかりのバルに対し、クスッと笑みが零れる。



「バル、もういいわ・・・あの時は、結局は何もなかったのだから」



今にしてよく思い出してみれば、アリ自身もかなり自分の気持ちと闘っていたようだもの。

許そう、と思う。

あの時のことだけは。