魔王に甘いくちづけを【完】

時が止まったかのような静寂が訪れる。

思わず口を塞いで、漏れる声を閉じ込めた。


―――これは・・・私――――?


胸が苦しい。

息遣いが荒くなる。

視界が歪んで、手の中の紙がどんどんぼやけていく。

下睫毛に支えられなくなった雫が零れて、ぽたぽたと落ちていった。

紙を抱き締めるように胸に押しつけ瞳を閉じれば


時が、子供の頃のある場面に、戻った。




――――・・・冷たい石造りの廊下。


沢山の人がいるのだろうか、複数の足音が響いてる。


その先頭を歩く、逞しい腕に抱かれて移動する幼い私。

すぐ傍でふわふわと揺れる立派なお髭が気になってて、触ってみたくてうずうずしてる。



「さぁ、ここが何だか、分かるか?」


赤く塗られた可愛いドアが瞳に映る。

お髭がふるふると動いて、煌く瞳がこちらを向いていた。

首を傾げてただ横に振ると、自動ドアのようにそれが開けられた。



「王様、お待ちしておりました」



中から女の人の声が聞こえてきて、柔らかな色で彩られた可愛い調度品と大きな天蓋付きのベッドが目に映った。



「本日よりここが姫のものだ。気に入ってくれると良いが。どうだ?」



地味な色の中で過ごしてきた私には、そこは夢の世界に見えた。

誰がこのお部屋を使うのだろう。

姫って誰のことだろう。

ちょっぴり羨ましく思いながら、幼いながらも務めを果たそうと思った。



―――おうさまは、わたしに、ここをどうおもうのか、きいてるわ。

ちゃんとつたえなくちゃ―――


「すてき!かわいいおへやだわ・・・あのカーテンかわいい!あのクッションも・・・それに、それに、ベッドも!だれのものなの?その子、きっとよろこぶとおもうわ!」



はしゃいだ声を出して一生懸命そう言えば、小さなどよめきの声とクスッと笑う声が聞こえてきた。

逞しい腕の主、お髭の王様は何故なのか渋い顔をしている。

隣から金髪の人が顔を覗き込んで来た。

この人は確か、水の中から助け上げてくれた人。

私の命の恩人。

あの時は怖い声で怒鳴っていたけど、今はとても優しい顔をしてる。



「姫、ここは、貴女様のお部屋なのですよ」

「うそ・・・わたし?だって、ひめっていったわ・・・ほんとうなの?ここが、わたしのおへやなの?」


信じられなくて目を瞠って金髪の人を見つめていると、視界は下へと移動して絨毯の敷かれた床が近くなった。

すとん、と下ろされて立派なお髭は精一杯見上げないと見えなくなった。



「そうだ、そなたが姫だぞ。ここはそなたのものなのだ。欲しい物、不便等があればなんなりと言えば良い。すぐに手配する」