魔王に甘いくちづけを【完】

「俺は、向こうでもこうして月を眺めていた。健やかなあの月も美しく良いものだったが―――――やはりこの空の月が、俺は好きだ。時に清く、時に禍々しくなる、この月が」


「旅は、大変だったのでしょう?天候が荒れてしまって―――ジーク達から何度も聞いたわ、危険だと。どちらまで、行っていたのですか?」


「お前も、旅の話を、聞きたいのか?」




こちらを見たバルに無言のまま頷いて見せる。

そうだな、お前に話さんといかんな・・・と呟いたバルは城宮の庭に視線を落とした。

そこには、王の趣味でもある果樹が数本植えられている。

管理の行き届いた木は、みな枝がしなるほどに沢山の実をつけている。

これらの木の実は赤や桃色などに色づき、時たま食卓を美しく彩ってくれるものだ。

中でも月明かりに照らされて輝く黄色い実は、まるで月の子供たちのように美しい。

それらを眺めながらバルはポツポツ話し始めた。



「・・・向こうの世界にも、あれと似た木の実があった。ありし日はきちんと手入れされていただろう農園と思われる場所が、たくさんあった。国は滅び・・・人の気配はほとんどなく民家も荒れていたが、自然の営みだけは続いていた。人々の息吹きは消え去っても、時は流れ季節は移り変わっていく――――かの地は豊かだった。いつかきっと、心ある者に再興されるだろう」


「バル、向こうの世界って・・・それは―――」



―――滅んだ国・・・それに再興だなんて・・・。

もしかして・・・まさか。

でも、バルはカフカのことなんて知らないはず・・・。

でもこのお話は――――



城宮の庭を眺めながらも遠くを見るような横顔。

ここではないどこか・・・あちらの世界を見据えてるような。

視線を上げ、こちらを向いたブラウンの瞳が真摯な色に変わり、一歩近付いた。



「お前の考えてる通りだ。俺は異界に行ってきた。お前の祖国のある世界に・・・旅に出る前、俺はお前に“帰ったら大事な話がある”と言ったが・・・覚えてるか?」

「もちろん・・・覚えてるわ」



―――あの日のことは、忘れる筈がない。

身のうちに色濃く残ってるもの。

起きた事件も見た記憶も、バルのことも―――



「旅は・・・俺にとって重要な目的があった。危険であろうと行かずにはおれなかった。お前の身にあんなことが起こると分かっていたとしても、取りやめることはしなかっただろう」



一緒に連れて行くことはあったとしても、と付け加えたバルの体がまた一歩近づく。

怖いほどの真剣な瞳。

さっきまでの笑みを含んだものからは想像できないほどに豹変した姿。

威厳を含んだ気に呑まれてしまい、体も視線も動かすことが出来なくなった。