魔王に甘いくちづけを【完】

「ジーク、お願いだから、ちゃんと聞いて」

「あぁ悪かった。俺としたことが女のお前に聞くとは。言えるはずもない!アイツに直接聞くっ。そのまま待ってろ!」


――――バン!!


開けたドアが派手な音を立てて壁にぶつかり、止める間もなく、猛然と廊下に飛び出していった。

ダダダダダと重い足音が廊下に響いてる。

その様子を、ボブさんが呆然と見送って首を傾げ、ドアをゆっくりと閉めた。



―――行ってしまったわ・・・

どうか、喧嘩になりませんように――――










「――――ジーク殿、誓って申し上げる。私は、そんな行為はしていません」


息も荒く憤怒の表情のジークに対し、冷静に対応するアリ。

首元にはナプキンを下げ、ナイフとフォークを持ったまま落ちついた表情で仁王立ちするジークを見上げている。


「しかしながら、アリ殿。手を出せたのは貴方しかおりませんぞ」

「それが違うのです。全く・・・ジーク殿、貴方ほどのお方がその様に取り乱されるとは・・・仕方がないですね。ここでは何ですので、移動致しましょう」



アリは食堂の中を見廻した。

一人一人の顔を瞬時に覚える。


城宮の食堂で繰り広げられるちょっとした騒ぎ。

声の大きさは押さえてはいるが、その場に居合わせた者たちの大きな耳がピクピクと動いている。

聞こえてることは間違いない。


こういうことはヘカテの夜の翌日にはよくあることで、皆場慣れたもの。

遭遇すれば我関せず風を装いつつも、一度喧嘩が始まれば直ぐ様止めに入る体勢は整えていた。

そう、普段ならば―――


しかし今回は意外な取り合わせ、天才と名高い医者ジークと、鉄の心を持つと謂われるアリだ。

二人ともが大変な有名人で仕事の腕や性格など、多くの尊敬を集める。

この二人を盗み見る皆の瞳が物語るのは、純粋な好奇心で“あの、アリ様が”“ジーク様の女を?”“まさか”奥のテーブルで密やかに囁かれてるのが、アリの耳にも届いてくる。



―――このままでは、あらぬ噂が広がっていくのは時間の問題だろう。

これに妃候補が関係してるなど知れたら、大変なことになる。

慎重に対処せねば。

全く、漆黒の翼も厄介なことをしてくれたものだ―――


アリはジークの背中を押しながらも、瞳に冷気を乗せてもう一度皆の顔を見た。

サッと瞳を逸らす者。何食わぬ顔で再び食事を始める者。



「・・・さぁ、行きましょう。ジーク殿、説明致します。・・・騒がせました」




スッと優美に手を上げて、アリは食堂を出ていく。

舌打ちをして後を追うジーク。

食堂の中には、一度湧いた好奇心を処理できないじれったいような感情。

それと、アリが一睨みで植え付けた何とも不気味な恐怖心が皆の心に残された。