魔王に甘いくちづけを【完】

さっきラヴルを呼びに行ったメイドが、すぐさま部屋の外に消えていった。


「ラヴル様、まだ名前を聞いておりません。テスタの者たちも名前は知らないようで教えてくれませんでしたし・・・此方にどうぞ―――」


ツバキがラヴルのために、ベッドの脇に椅子を持ってきて置いた。

ラヴルは椅子に座り、俯いたままの娘の顔を覗き込んだ。

娘の顔色がとても悪い。

テスタでどんな扱いを受けていたのか。


それとも、昨夜の私の所業のせいか。



「私はラヴル・ヴェスタ・ロヴェルト。ラヴルと呼んでくれ。貴女の名前は?」




――私の名前・・・名前・・・・名前・・・・。



“・・・―――様・・・”


ッ―――キン―――



「ぅっ―――」



―――ッ――――・・・何で、何も思い出せないの?



日常的なことは分かるのに、どうして自分の名前と今まで過ごしてきた日々を思い出せないの?


娘は遅い来る痛みと、何も思い出せない哀しさを振り払うように、瞳をギュッと閉じた。


――何も分からない事がこんなに悔しいなんて―――


娘の体がベッドの上にうつ伏せに倒れ込んでいく。




すーっと倒れ込んでいくその体を、ラヴルの腕が咄嗟に支えた。

顎を支えて上を向かせると、娘は具合が悪いのか、苦しげに呼吸をしている。



「ラヴル様、もしかしてこの娘、名前が無いんじゃないですか?」



「違うぞツバキ。名前が無いんじゃない。多分これは記憶を失っているんだろう」



ラヴルの手が額にそっと当てられた。

すると、不思議なことに波打つような頭の痛みがひいていった。

辛そうに眉を寄せていた娘の表情が、穏やかなものに変わっていった。



「私が貴女に名前をあげよう。貴女は今日から“ユリア”と名乗るといい」



「ユリア・・・?私の名前・・・・」



ラヴルが額から手を離すと、丁度食事が運ばれてきた。

メイドがユリアの顔をちらちらと見ながら、テーブルの上に食事をセットしている。



「ユリア、お腹が空いているはずだ。これを食べるといい」


黒い瞳がユリアを優しく見つめた。



「ナーダ、ユリアのことを頼む・・・。昨夜――つい無理をさせてしまった。多分、相当体がきついはずだ。私は少し出かけてくる―――ツバキ、行くぞ」


「はい、ラヴル様」


ラヴルは来た時と同じ様に、コツコツと大きな足音をさせて部屋を出ていった。