魔王に甘いくちづけを【完】

念のためですからご心配なさらないで、と言いながら背中に手を当ててソファへと促してくる。


―――平気そうに装って微笑んでるけど。

さっきと変わらずに耳はピクピクと動き続けているし薄ブラウンの瞳はまったく緊張の色が取れていない。

鋭い光を持ったまま―――


室長の腕の力は思いのほか強く、促されるままに窓際のソファに移動させられて、仕方なく座った。途端―――


室長の体が瞬時にドア近くまで移動していた。


ドレスのすそを気にしていたほんの少しの間に。

その速さに、驚く。

昨夜も思ったけど、室長侍女は他の子たちと随分違う。

鋭い瞳、ただの侍女とは思えない俊敏な身のこなし。

特別な訓練を受けてるのかもしれない。



室長はドアノブに手をかけゆっくりと捻った。

少し開いた隙間から慎重に廊下の先を見やってる。



―――ガタタッ!ガタン―――



再び大きな音がしたと同時に、複数の男性の声が聞こえてきた。

混じり合うそれはとても大きくて荒くて、言い争ってるように聞こえる。

それはやっぱりどう考えても喧嘩をしてるようで・・・。

ここに来て初めて聞く男性の怒声。

―――怖い・・・。

穏やかな種族のイメージだけど、もしかしたら、満月が近いと気が昂るのかもしれない。



覗いていた室長の体がピクリと震え、手が口のあたりに添えられた。

ドアが素早く静かに閉められ、振り返った室長の頬が少し青ざめている。



「どうかしたの?何かあったの?」

「―――あの、ユリア様。何があっても、私から離れないようにお願い致します」

「え・・・?何があったの?」



月も見ていないのに、室長の瞳の色が変わっていく。

体の周りの空気が揺らいでいるように見える。

あんなに騒がしかった廊下が、いつの間にかしんと静まっている。

不気味なほどの静寂―――



―――・・・前に、似たようなことがあった気がする。

こんな風に、ドアを睨みつけて目の前に立ちはだかる侍女の姿―――




お腹の辺りが冷たくなる。

体が震え、心臓がドクンと波打つ。

ある光景が目の前のものに重なる。



室長の背中が、闇に消えたり浮かびあがったり




見覚えのない部屋。

周りは闇に包まれてて。

月明かりだけが部屋の中を照らしてる。



“命に代えましても、貴女様は私がお守りいたします!!”



止める声を無視して、震えながらも前に進み出る細い背中。


・・・これは――――――




「ユリア様!」