魔王に甘いくちづけを【完】

ドアの傍らに立っている室長がぽつりとつぶやいた。

身支度専門の侍女たちが下がっても、今朝はいつもの使用人が来ない。

くしゃぁと笑って目がなくなる、愛嬌のあるあのヒト。



「もしかしたら、また料理を落としたのかもしれませんね」



室長がため息混じりに言う。

室長の顔は真面目そのもので、だけど声は笑みを含んでいて冗談なのか本気なのかわからない。

けれど。


「そうかもしれないわね」


否定せずに応えてしまう。



―――あのヒトならあり得そう。

だって、少しそそっかしいところがあるもの。

スープを零して火傷してしまったり、下げてるお皿を落としそうになったり・・・。

どうしてこの部屋の係りになったのか分からないけれど。

って、本人も申し訳なさそうにそう言ってたっけ。

何だか憎めないヒトなのだ―――



コロコロ変わる表情とか慌てた仕草とかいろいろ思い出してしまい、堪え切れずに笑っていると、廊下の方が少し騒がしいことに気が付いた。




『ガタン』




『ガタガタッ』




何かが床に落ちたような、どこかに固いものが当たった様な、そんな大きな音が聞こえてくる。

室長を見るとすでに警戒しているのか、大きめの耳をピクピクと動かしていた。

表情も強張っていて、切れ長の目は閉められたドアの向こうを探るかのように睨んでいる。



「室長、外が騒がしいみたいですね。何か、分かりますか?」




明らかにいつもと違う。

この静かなバルの城宮の中で、しかも廊下で、あんな音がする要因は何も思い当たらない。

不安になって声をかけると、室長もそう思っていたのか、窓側の壁を指し示して早口で言った。


「いえ、分かりません・・・様子を見て参ります。念のため、ユリア様はなるべくドアから離れた場所にいて下さいませ」


「ドアから離れて、だなんて―――やっぱり、危ないのでしょう?駄目です。貴女も行ってはダメです。ここに居て下さい」


「ですが・・・、分かりました。では、ドアの隙間から窺う程度に留めます。ユリア様、大丈夫ですわ。この王子様の城宮は安全ですから。きっとそそっかしい者が大きな物を落としてしまったのでしょう。さぁ、ソファに掛けて下さいませ」