魔王に甘いくちづけを【完】

昨日そんなことがあったなんて。

リリィはいつもの通りに部屋にお喋りに来たけれど、そんなこと一言も言ってなかったけど。

侍女見習いのことと、ザキの話を楽しげに話してただけ。



「こりゃぁまずいなと思ってたんだが―――、今朝はそれが一転してたんだ。まぁ・・・一言で言えば、元気がない。俺が話しかけても上の空。見た目で分かりやすく言えば、バル様の周りだけ・・・空気が沈み込んでる。どんよりと淀んでるんだ」


「それは、侍女を泣かせてしまったから・・でしょう?」


「まぁそうかもしれんが・・・俺は、それだけじゃないと思うぞ」



そう言って見つめてくるダークブラウンの瞳が、お前、心当たりがあるだろう?と言っているように見える。



確かに・・・心当たりは、ある。

・・・けど、あんなことでそんなに落ち込むのかしら。

あの時、バルは確かに困っていたけれど。

昨日は、私がむっすり黙り込んでしまっただけだもの。

だから、喧嘩にはなっていないし、何かもっと他に原因があると思うんだけど。



政治のこととか。

侍女を泣かせたことで、リリィに窘められたこととか。

きっと、私のせいではないと思う。多分。



「・・・バル様の顔を見た時でいい。ただの挨拶でも何でもいい、お前から声をかけてくれるか。そうすりゃ随分ましになるはずだ」


「バルは、そんなに落ち込んでるんですか?」


「ああ、会えばすぐ分かるぞ。いつも快活なバル様が、と皆が首をひねってる。あまりにも珍しいことだから、傍から見てる分には面白いが、どうにも空気が重くなっていかん。ザキは面と向かって“いい加減うざいっす”って言ってたけどな」


ハハハと渇いた笑い声を上げたあとふぃっと肩をすくめて何か呟いてる。





「――――では、また明日な」

「はい。ありがとうございました」


太い腕が重そうな鞄を軽々と持ちあげる。

一体何が入っているのか、と思うほどにいつ見てもパンパンに膨らんだ鞄は、床から離れるとタルンとしなって揺れる。



“俺は医者だからな。どんな時でも、コレ一つですべてのことに対応できるようにしてあるんだ。用意周到と言えば聞こえはいいが、ただの心配性とも言える”


その鞄、破れそうよ、と言った時、こう言って苦笑してたっけ。



「本日も異常なしだ。では、これで失礼する」