朝は変わらずやってくる。

結局、光希にメールが送られた理由は分からなかった。通学中も考え、授業が始まるまでもひたすら考えた。



昔の人は素晴らしい。
「灯台下暗し」なんてふつうなら気にも留めないようなことを後世に遺している。

しかもそれはおおかた正しい。

現に俺は今、物理の授業中に教卓の前の席で例の紙を広げて考え事をしている。


あぁ、いま教室の後方の誰かが内職をするなと注意された。
南無三。



今俺が3年生だったらこんなことはできないな。


俺が今考えているのは、どうして使われた和歌が小野小町のあの歌だったのか。

俺があの和歌だと思ったのは、俺が知っている「ながめ」という掛け詞を使った和歌がそれしかなかったからであって、言わば偶然の一致、シンクロというやつだ。

もしかしたら、この和歌を使ったこと自体に何か意味があるのでは?

そう思ったのだ。