弓道場から出ると、「さて、どうしようか?」という話になる。
「あの、桃華さんはこれからうちに来ることになっているんですけど、もし良かったら秋斗さんと藤宮先輩もいらっしゃいませんか? 夕方には蒼兄も帰ってくるって言ってましたし……」
 提案すると、
「じゃぁ、お邪魔させてもらおうかな?」
 秋斗さんはすぐに応じてくれた。
「これ、場所取るけど……」
 藤宮先輩は弓の置き場を気にしているよう。
「大丈夫です。うち、玄関だけは無駄に広いので」
 そのまま自宅に向かって運動公園を歩いていると、またもや声をかけられた。今度はフルネームで……。
「御園生翠葉?」
 今度は誰……?
 声の主に視線をやると、ユニフォームを着た女の子たちが立っていた。
 中学三年のとき、同じクラスだった女の子たちだった。
 すごく苦手な人たち、という記憶しかない。
「こんなところで奇遇ね?」
 相変わらず意地悪そうな笑みを浮かべる。
 でも、私と一緒にいる人たちが目に入った途端、態度がコロっと変った。
「元気だったー? 高校、一度も出てこないで辞めちゃったから心配だったんだ。で、後ろの人たちは?」
 藤宮先輩と秋斗さんを見ながら訊かれる。
「学校の先輩と、その従兄さん……」
 端的に答える。
 ものすごく不思議なのは、麗しい桃華さんが全く目に入っていないところ。
 今日の桃華さんは濃紺のサンドレスに白いカーディガンを羽織っている。誰が見ても清楚なお嬢さんだ。
 目に入らないはずはないんだけど……。
 私の前をずい、と横切り、
「私、御園生さんと同じ中学で高校も一緒だった綾瀬美香子(あやせみかこ)っていいます!」
 極上の笑顔を作り、私を呼んだときよりも高めの声でそう言った。
 綾瀬さんは少しギャルっぽい感じの人で、髪の毛は茶色く、クルクルと縦巻きのパーマがかかっている。目が大きくて、ちょっとつりあがって見えるのはメイクのせいだろうか。
 綾瀬さんを皮切りに、一緒にいた女の子たちが次々と自己紹介を始めた。私はというと、綾瀬さん以外の人はかろうじて顔を覚えている程度。
 彼女たちの自己紹介を観察していると、藤宮先輩が衝撃の一言を放った。
「自己紹介とか必要ないから」
 言うと、彼女たちは顔を見合わせた。けれども何かの間違いとでも思ったのか、「お名前、なんて言うんですかぁ?」
 と、猫なで声を発する。
 それに対し、
「名乗る理由ないし……。何よりも、翠は君たちの高校じゃなくてうちの高校の生徒だから」
 綾瀬さんは口もとを引きつらせながら私に視線を戻した。
 私はその視線だけで威嚇されてしまう。すると、
「そうね、あなたたち光陵? 翠葉は藤宮の生徒よ」
 存在を無視されていた桃華さんがここぞとばかりに主張する。
 秋斗さんは、「あーぁ……」って感じの顔。
「御園生さん、あなたうちの学校辞めて藤宮に行ったの!? だって、あなた入院してたでしょっ!? ほぼ一年近く病院にいたって噂よ!? そのあなたがなんで今藤宮の生徒なのよっ」
 綾瀬さんじゃないほかの子が口を開いた。
 その顔は自己紹介をしていたときとは雲泥の差で、口調もきつくなっていた。
 これ……説明しなくちゃいいけないのかな。説明する必要があるのかな……。
 逡巡していると、
「あ、わかった。留年したんでしょ?」
 ショートカットの子に嘲りの調子で尋ねられた。
 別に留年したことはもうなんとも思っていないし、それを認めることもたやすいのだけれど……。
 色々考えて、やっぱり留年して良かった、と思ってしまう。
 私はきっと、光陵に行っても楽しい学校生活は送れなかっただろう。
 今日、中学の同級生に会って痛感した。
「君らさ、心に悪魔か何か飼ってない?」
 にこりと笑った秋斗さんが私の前に立つ。
 彼女たちは、「え?」と急に作り笑いをし始めた。
「どんなに笑顔を作っても全くかわいく見えないんだよね。もう一度、自分の顔を鏡で見てから出直してきたほうがいいよ」
 さらりと口にし、「さ、行こうか」と私の背を押して歩き始めた。
「あの……」
「ん? 翠葉ちゃん、何?」
「いえ……ありがとうございました」
「なんのことかな」
 秋斗さんは何もなかったかのように笑ってくれる。
 前を歩く藤宮先輩と、斜め前を歩く桃華さんは不快だという表情を隠しもしない。
 美形に美人が怒ると想像を絶するほどに恐ろしい空気が漂う。
 秋斗さんは公園敷地内を出るまで、私の背をかばうようにして歩いてくれた。
 公園を出る直前に爆発したのは桃華さん。
「話には聞いていたけどっ、何よあれっ。世の中にあんな人間がいるだなんて信じられないっ」
 頭に角でも生えてきそうな勢いだ。
「今朝の藤棚での男といい……。翠の中学にはまともな人間がひとりもいないのか」
 藤宮先輩は声を荒げることはしないものの、ドスの効いた目つきに声音だ。
 中学全体はよくわからない。でも、私が同じクラスになった人たちに、私が心を許せる人はひとりもいなかった。
 さっきの人たちも同じクラスだったというだけで、友達というわけではない。
 もっと言うなら、卒業してから一年以上も経っている今、まさか話しかけられるとは思ってもみなかったわけで……。
 どうしよう……。
 答えに困っていると、
「翠葉ちゃんが若干人間不信なのって、ああいうのの中にいたから?」
 訊かれて、ぎゅ、と心臓が縮まった気がした。
 人間不信――秋斗さんにはそう見えていたんだ……。
 秋斗さんや桃華さんたちに気づかれないように、小さくため息をつく。
 できれば会いたくない人たちに会ってしまうわ、大好きな人たちに見られたくない自分を見られてしまうわ……。
 せっかく楽しみにしていた日なのに、半分くらいは踏んだり蹴ったりだ。
「前にも言ったけど、あんなのこっちから願い下げよっ」
 桃華さんが足元にあった石ころを蹴飛ばした。
「それには同感。だいたいにして、翠葉ちゃんはかわいいけど、体なんて使う必要ないしね」
 秋斗さんが大仰にため息をつく。と、
「秋兄、それ、なんの話?」
 藤宮先輩の眉間にシワが寄る。
「藤棚で絡んできた最低男が吐いた言葉よ。『顔と体で男たぶらかすこと覚えたんじゃねーの? 今度俺ともお相手願いたい』って」
 桃華さんがぶっきらぼうに答えると、
「低俗……」
 一言でバッサリと切り捨てた。
「本当、低俗もいいところよっ。頭にきたから投げ飛ばしてきたわ」
「簾条、いい仕事したな」
「あんな男、翠葉に近寄らせてたまるものですかっ」
 そこまで話すと、
「不快極まりなかったけど、司は決勝進出決まったし、これからは関わりのない人間だし、とりあえず、翠葉ちゃんちに案内してもらおう」
 秋斗さんがその場を仕切りなおしてくれた。